ただの風邪。

音楽のことを中心にいろいろと書いています。

日記 2018年12月15日(「イエローミュージック」という問題(WIP))

realsound.jp

 書きまし太郎。なんか世間では賛否両論? みたいな話も伝え聞いたりしますが、僕は面白く聴きましたよ。ちょっと前、日記にも書きましたけどね。「なんでいまロックバンドがサウンドを見直すのか?」を、外的要因(世界的なトレンド)と内的要因(サウンドが変化することによる「新しさ」の開拓)にわけて解説しました。後半では「伸びしろ」って言ってますが、つまりサウンドを変えることで、アジカンというバンドは自分たちの持てる手段はそのままに成長の余地をつくりだした、という印象を持ってます。だから面白いし、今後に期待が及ぶな~と。

 Andy ShauffのバンドFoxwarrenのセルフタイトルでのデビューアルバム。Jeff Tweedy『WARM』にも通じる、フォークロックをスタジオテクニックで現代的に磨き上げたみたいな感じ、でももっとサイケデリックでドリーミーな味わいがある。マルチトラックレコーディング黎明期の実験精神がProTools以降のハイファイなサウンドで蘇っているというか。ダブリングしてステレオ感を強調したヴォーカルや、パンニングの遊び方も良いし、モダンなエレクトロニクスもさらっと取り入れたりしていて、「Lost on You」はフォークトロニカ(という呼び方ももはや覚えている人がいるのか)みたいでさえある。リズムの遊び(「Lost In A Dream」のクロスリズム、「Lost on You」のメトリックモジュレーション)も心地よく、北米のインディシーンはやっぱり面白くありつづけているなあと思う。

 長谷川白紙のEPから1曲ずつ配信されていくらしいですがまあ感想は盤でまとめて聴いてから書きます。

 2018年のベストトラックです。「どうせみんな挙げるでしょ」というのは省いて、いやでもこれはどうしても、というのは残しました。上から順位っぽくなってますがどっちかっていうと流れ重視で配置したのでそこまでヒエラルキーはないです! このなかであんまりまわりで言及がないものだとaltopalo「mono」やNardeydey「Speedial」、Swamp Dogg「Lonely」あたりだろうか。あと秋田弁ラップで注目を集めたTyOurhomeとLunv Loyalの「Iburi Gacko Flow」は外せないですね。Elysia Cramptonもあんまり言及なかったかなぁ。好きなんですが。

 Twitterにも書いたのだが、星野源の「イエローミュージック」というコンセプトって結構プロブレマティックじゃなかろうか。彼の言う「イエロー」とはなにを指すのか、「イエロー=自分たち=日本人」なのだとしたらそれは狭すぎるのではないか。それは「ブラックミュージック」と私たちが言うときに無自覚に「アフリカン・アメリカンの音楽」を指してしまいがちなのと似ている。実際には「ブラック」にも多様性があり、アフリカンもアメリカンもジャマイカンもプエルトリカンもブラジリアンも……全部背負ってる文化が違う。混じり合ったりもする。その混じり合いを指して「ブラック」とも言いうるのかもしれない(出自のばらばらな「ブラック」が奴隷制を経て「アフリカン・アメリカン」というアイデンティティを現在に至るまでにかたちづくってきたように)が、そうすると不可避的に「ホワイト」とかヒスパニックもその混じり合いのなかに含まれていくだろう。もし「ホワイト」対「ブラック」という二項対立に対して「イエロー」という第三の項を設定しているのだとしたら、それはアメリカのポップミュージックが抱えるドメスティックな「ホワイト」と「ブラック」の対立を自然化して、アメリカと日本という二国間にしか存在しない「イエロー」を捏造してしまっているのではないか。「イエロー=日本」という自明性にはたして星野源がとらわれていないか、検討する必要があると思う。「イエローミュージック」なる概念は、88risingとか、K-POPとか、北米インディにおけるアジア系SSWの活躍と並べうるのだろうか。それとも、日米関係というドメスティックな文脈でしか通用しないものなのだろうか。

 米津玄師が音楽における「編集」の技巧について綴っている。まあ「ありのまま」のリアルよりも、そのリアルを加工する手際こそが重要、ということには同意する。しかし「ありのまま」と「編集」の2段階ではまだ弱い。「編集」には、「ありのまま」を加工して食えるものにするベクトルや、「ありのまま」が実は「ありのまま」でもなんでもない、構築物であることを暴くようなベクトルもある。プリミティヴな表現から高度に技巧的な表現へと至るスペクトラムがあるのではない。というようなことを思った。