ただの風邪。

音楽のことを中心にいろいろと書いています。

日記 2018年12月7日(オーニソロジー、SNJO、七尾旅人、SKY-HI)

 頭痛で一日まるごと潰してしまった。金曜日なのを忘れていて油断していた……。

 TABOOレーベルの最終兵器(文字通り、である)、オーニソロジーの1st『101』が良い。オーニソロジーこと辻村泰彦さんはこれまで「粋な夜電波」にも何度か登場した関西弁の兄ちゃんで、ハスキーで少し高めのヴォーカルが異様に色気がある。自ら手掛ける楽曲もめっちゃよく、キザなようでどこか抜けてるようなわからない絶妙な言葉遣いもいい。「えっ、悪気ないの? ナチュラルなの? そんなことないでしょ。考えられないなあほんと、あの仕草はなに?」がフックって凄いでしょ。Final Spank Happyをフィーチャーした「変なファンデーション」やDC/PRGをフィーチャーした「カルロス・カスタネダの迫害と暗殺」も素晴らしい。CEROがくっそほど話題を呼んだ2018年だったけど、リズムの快楽にためらいなくつっこんでいく彼らとは違うぎりぎりイカないクールさがあってやっぱりDC/PRGは別格、現編成でのライヴ音源を映像でもCDでも配信でもソフト化したら間違いなくベストに数えられるはずだと思うんだけど、来年に期待できるかな~。せめて仙台に来て~、生でみたいよ~。

 Local VisionsからリリースされたSNJO『未開の惑星』がストリーミングに来たぞ~! けばけばしすぎないちょいレイドバック気味のFuture Bassの流れを汲むポップス。むちゃクオリティが高いしキャッチーな一方で、どこかLVらしいカラーもあって、まさにポストvaporwaveの風景って感じ。大好きです。

 なんかめっちゃ評判いいけど想像を絶するサウンドのどんくささにビビってる。ヒップホップもどきのフロウとかちょっとびっくりするくらいアナクロというか、こ、これがいまの七尾旅人なのか?! と戸惑ってしまう。わからん。かつて、まあおれはそんなに熱心なファンではないのだが、それでも七尾旅人に感じていたマジックが、どこかに消えてしまったみたいに感じられる……。

 SKY-HIの新作、いっぺんさら~って聴いてみたものの、やっぱ根本的に声質とフロウが合わなくて入ってこない。いっときよく「SKY-HIのラップは聴き取りやすい」「SKY-HIはめっちゃラップが上手い」というのが評判になってたけど、うまいこと言葉を並べられることや口がよくまわることをラップが上手いって言っていいんか? みたいなことを思う……。滑舌がいいわけでもないし。しかし「Sunday Candy」風の曲に「Blue Monday」とつけるいい意味での安直さは素晴らしいと思う。そういうヒップホップっぽいイージーさというか遊びの精神も忘れないのが。というかみんな「Sunday Candy」好きすぎじゃない? 日本に紹介すべきはKendrick LamarじゃなくてChance the Rapperのほうだったのでは? 政治についてもコンシャスでフィランソロピーの精神がある地元の頼れる兄ちゃん、お茶の間でも人気、楽曲はめちゃくちゃポップ。地元にひとりは欲しいでしょこういう人。「ピュリッツァー賞」という権威があったとはいえ、2018年の来日をとりまく異様なKendrick Lamar推しはちょっと理解しがたかった。

 WUGの活動も終わろうというタイミングで奥野香耶さんにハマってしまったimdkmの運命はいかに。『ハナヤマタ』みよっかな。

 とか言いながら中島由貴さんの2019年カレンダーを買ってしまった。B2版。でけぇ……。どこに貼るんだこれ。

中島由貴 2019年 カレンダー 壁掛け B2 CL-257

中島由貴 2019年 カレンダー 壁掛け B2 CL-257

 引き続き『バンドやめようぜ!』を読んでいる。逐一、一行一行、こういうことを書いた本が日本の書き手から出てきてないのはどういうことだと思ってしまうな。結局みんな音楽産業をいかに延命させるかについてばっかり一所懸命で自分たちが果たしてどんな場所にいるのか立ち止まって考えることになんか興味がないのか。音楽性はもちろんシーンの状況からミュージシャンやライヴハウスを取り巻く経済問題、シーンの政治性までを一貫した眼で見る、そういう視点ってほんとないね。

 政治のことは政治の人が騒いで音楽のことは音楽の人が騒ぎ、金の話になると「意識の高い」新自由主義者がでけぇ顔をしてばかり。広く読まれてるらしい音楽メディア(実際にはちょっとでかいブログくらいのもんだが)は音楽に無垢なロマンチシズムを託しているふりをしてその実は国家単位のナルシシズムや強固に内面化された業界のミソジニーに絡め取られている。クソみたいな状況だと思う。

 「ここでポイントになるのは「政治」という観念は実はほとんどの人々が許容している以上にもっと広いということだ。日本の音楽批評の中で、この点に対する考慮はしばしば忘れ去られている。」(p.207)そう、そのとおり。世の中に出回っている音楽という観念や政治という観念はあまりにも狭すぎる。「アイドルたちの「夢」というのはしかし抽象的なものであって、それが帰するところは実はファンたちを喜ばせること、という循環型のロジックでしかない[…]とどのつまり、AKB48のファンたちは自分たちが女の子らの夢を応援しているのだと信じるよう仕向けられてはいるものの、彼らが実際にやっているのは彼女たちの夢をファンを喜ばせることとして定義することだったりする――本質的に言って、それは彼女たちに対しての所有権を主張するということだ」(p.218)そのとおりだ。