ただの風邪。

音楽のことを中心にいろいろと書いています。

日記 2018年10月24日(おもちゃ箱をひっくり返してもひっくり返したおもちゃ箱があるだけ)

 例のビ・ハイアの社長のプロフをTwitterで見たら「月1,500冊以上の読書」とあって、一日50冊とか24時間かかっても無理じゃない? って真面目につっこんでもせんないけど。日垣隆上杉隆の虚言を思い出した。いかれた商売する人は信じられない話の盛り方をする。その極地だろうなあ。そのくらいのはったりを平気でかませる人間なんだな……。

 Toro Y Moiの新曲タイトルが「Freelance」で笑ってしまう。聴く感じ、個人的にふわ~っとして聴き流してしまった前作よりひっかかりがあってアルバムが楽しみ。「靴も靴下もいらない、僕はサンダルしか履かない/自分がヒップなのか年食っただけなのかわからない」なんてラインにくすっとしつつ、「奇跡を起こして欲しい、僕のために/僕だけにだよ、ベイビー、OK?」という二度繰り返される印象的なフレーズに惹かれる。ぐっと太くシンプルなビートも含めて、名曲「How's It Wrong」に通じる孤独感、コミュニケーション不全を感じさせる、いい曲だと思う。

 ほか、中村佳穂の2ndから先行配信された「きっとね!」もよい。アルバム楽しみ……。VaVa『Idiot』良曲揃い、素晴らしい。リリックからサウンドに至るまで感じられるテレビゲームへのノスタルジアは、ちょっとユーモラスであると同時に切実さもある。青葉市子『qp』、Sweet Williamsとのコラボでどハマりしてしまい、シンプルな弾き語りで統一された本作にも聞き入ってしまう。

 期待していた小西真奈美『Here We Go』はKREVAのバックアップでR&Bやヒップホップのフレイヴァーを香らせつつ、いい意味で本格さからは距離をおいたクールな出来。これがアリなんだったらもっとエグいエクスペリメンタルなトラックで一発かましてほしい。KREVAのトラックって良くも悪くもめっちゃストレートで、ヒップホップ的なエグみ、歪みをあえて強調しないクールさがあると思う。それがあのポピュラリティの要因のひとつであって、意図的にやってる部分もあるんだろうけど、小西真奈美の歌声はめちゃ存在感があるから、もっとエグいトラックでも負けないんじゃないかなあ。

 Moment Joonの新曲「ImmiGang」が本気で名曲、相変わらずのMCバトルブームのなか、「言葉で人を殴るってのはこういうことなんだよ!」と鼻っ面をやられたような衝撃だ。一方でMCバトルブームの生んだ異端的ヒップホップコンテンツ、ヒプノシスマイクもセカンドバトル曲が試聴開始。さすが山嵐、攻撃力がめちゃ高い!

 ようやく貯めてたリリスパを見始めたけど、やっぱスパイものってビッグビートなんだなぁと変な感慨を受けた。ベースラインハウスやジャージークラブが鳴るのも最高じゃん。スパイスをキメる演出もヤバい。なもりがキャラデザであの声優陣というだけでおいしいのに劇伴もいいアニメで夢のようだ。ちなみにOP「スパッと!スパイ&スパイス」とED「Hide&Seek」はストリーミングで配信されているのでクソほど聴きましょう。

 なんか原稿仕事がひと段落したので油断してたら自分で持ち込んだ記事と依頼原稿が次々重なって急に時間がつまってしまった。どれも楽しんで書ける題材なのでぜんぜんいいんだけどこれ仕事のペースつくるの難しいな。

 「おもちゃ箱をひっくり返したような」とよくいうけど、「おもちゃ箱をひっくり返した」あとには「ひっくり返ったおもちゃ箱」があることしか導けないのではないだろうか。おもちゃ箱のなかにいつもおもちゃがあるとは限らない(まさに遊んでいるその瞬間はおもちゃ箱も空になりうる)。厳密に言えば、「おもちゃの詰まったおもちゃ箱のなかみをぶちまけたような」と表現するべきだろう。そう考えていくと、別に「ひっくり返す」「ぶちまける」必要もなくて、「おもちゃの詰まったおもちゃ箱の中をのぞいたような」でも比喩として成立するし、あるいはそもそも「おもちゃ箱」という余計な概念を前提にしないで、「いろんなおもちゃが散らばっているような」で十分なのだ。考えれば考えるほど甘えた比喩だと思う。

 ある原稿を書いていて、「いまどきこんなくどくどと細かい文章なんか誰も読まないんじゃないの?」と突然凹み始めてしまった。とにかく書きたいことを書くだけ書いて、がつがつと要素を削ってポップにしていくしかない。

 いまいちばんやべーTwitterアカウントはs.h.i.さんだろ…… どう考えても…… と思うんですがどうでしょう。気合の入った聴き込み方、分析の力量、そして読ませる長文を書ききる筆力(ブログの「短評」は下手したら数千文字に達する、それで短いなら本格評論は博論レベルではないのか……)、はんぱじゃない。しかもメタルを根っこに持ちつつヒップホップやダンスミュージック、ひいてはJ-POPまでをカバーする雑食性と、音楽に対するスタンスの一貫性は率直に尊敬に値する。Twitterでのライブレポはほんとに凄い、「自分が音楽に何を求め、どこに注目しているのか」と「この音楽の芯はどこにあり、どこに耳を傾けるべきか」というふたつの観察を同時に行えるのはただならぬ才能だと思う。

 とまれ、上掲ツイートで批判されているレビューで取り上げられたBliss Signalがめちゃいいのは確か。最近TLでメタルやインダストリアルの話題をよく見るので、本格的に掘らないといけない気になってきた。

 兼本浩祐『なぜ私は一続きの私であるのか ベルクソンドゥルーズ・精神病理』(講談社選書メチエ、2018年)を読んでいる。うわーこういう話を読みたかった、という感じ。ベルクソンに立脚して、脳科学精神病理学の知見を用いながら「私」の成立する過程を考察していく。いきなり「世界内存在」とかカントの批判哲学がひかれるので、多少哲学の心得がないと読みづらいかもしれないけど、けっこう面白い。なにより、次のようなアツい一節にぐっときてしまった。

それでは何が表象を一続きのものにするのでしょうか。つまりカント的に表現するならば、実在と実在を結び、実体を生成させるものとは何なのでしょうか。その候補は言語的なものでしかありえないでしょう。そしてここに愛の可能性が割って入ってくるのだと思うのです。(p.74)

 「愛」?! 「愛の可能性」?! いやーとりあえず話を聞いてみないことにはわからないこのエモい一文。すごいね。