ただの風邪。

音楽のことを中心にいろいろと書いています。

2018年10月22日(『若おかみは小学生!』を見て過呼吸になりそうになった話)

 昼、なんかいろいろと思うところあり荒んだ心持ちになり思わず友人に連絡を取りちょっと話す。ままならねー世の中だ、と思っていたら知人からつぎつぎ連絡が入ってなんとか調子を取り戻した。

 所用をこなしたりなんとなくThree 6 Mafiaを聴いてみたり(なんでだろう?)ちょっとリサーチしてコラムの企画をまとめて送ったりしてたら夜でおれはこのように日々を過ごしていていいのかという気持ちになった。ので、意を決してレイトショーで「若おかみは小学生」を観るなどした。

 グローリー水領様になりたい、おれは…… グローリーになりたい…… いやむしろおれこそが……

 おれがグローリーだ。おれはグローリーになる。

 さておき、観光地のちょっといいショッピングモールに行くのがひとつのクライマックスなのがなにかの真理という感じがしますね。大人になるとはつまりそういうことなのか。WORK, PLAY, SHOP, REPEAT. そして子供がビジネスを知り妥協を知る物語なんだな。観光による町おこしというトピックを小学生に託すのマジでクレイジーじゃないすか。ジュヴナイル版のビジネス指南書、自己啓発みたいな映画だ。イニシエーションとして神楽を舞って「大人」になる、というラストはきれいに決まっているけれど、しかしそれは観光で食ってる温泉街の「若おかみ」になること、この世界の資本のサイクルにアジャストすることと同じだ。まともな仕事につかずにふらふらしてなんとなく30になろうとする実質無職の人間には、むしろおっこが向こうに行ってしまうかのようでそっちのが悲しかったね。この映画にはアウトサイダーはひとりもいない(アウトサイダーは取り残され、去ることを決める)。それこそがまさに素晴らしいのだろうけど描かれている人びとの「社会人」さに逆に過呼吸になるかと思った。

 だからせめてグローリーでありたい。おれは幽霊になることもおそらく幽霊を選ぶこともできない。だったらグローリーにはなれないだろうか。ああ、だからBorn Slippyのかわりにジンカンバンジージャンプを聴くべきなのだろう。いい加減おれも大人になるのだ。

 付け足し:たとえばこの舞台が「観光復興に成功した由緒ある温泉地」ではなくて、たとえばつげ義春がふらっと「蒸発」しに訪れるような温泉地だったらどうだろう?