ただの風邪。

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Talking Heads『Remain in Light』がPitchforkのSunday Reviewで10点。文句は別にないけど……

 アメリカの音楽メディアであるPitchforkは、インディーロックを重要な起点として、電子音楽からヒップホップまでをカヴァーする、よかれ悪しかれ現代アメリカの音楽批評のベンチマーク的なウェブサイトだ。興味深い特集記事をリリースすることはもちろん、最高10点までで評価がつけられるアルバムレビューがなにしろ取り沙汰される。なかでも近年は「Sunday Review」と題して歴史的な名盤をピックアップしては現代的な観点から再評価するコーナーを設けていてそれがけっこう面白い。

pitchfork.com

 最新(2018年10月21日付)の「Sunday Review」で取り上げられたのは、Talking Headsの名盤『Remain in Light』。David Byrneひきいるアートスクール出のニューウェーブバンドがアフリカ音楽を取り入れ、1980年代の「ワールドミュージック」ブームを用意した作品だ。ついた点数は10点。まあ、いいんじゃないでしょうか、おれも好きだし……。でも、このレビューに限らないんだけど、同作に関する「アフロ・ポリリズムを取り入れた名盤!」という評価は正直言ってあんまり納得はできない。

 たしかにアフリカンパーカッションがたくさん入ってるけど、でも基本的にはふつうに8ビートとか16ビートじゃない? ボーカルとコーラスのコール・アンド・レスポンスとか、ギターリフやベースラインのつくりかたにたしかにアフロビートの影響の色濃いシンコペーションを感じはするんだけど、多少ロックの定型的なリズムパターンから逸れてるくらいで「大々的にポリリズムを取り入れ……」ってどうなのよ。

 そもそもFela Kutiのアフロビートは複数の拍子が並走したりまわりこんだりするポリリズム(アフリカの民族音楽のフィールド録音とか、もっと伝統的な音楽に寄ったミュージシャンの録音作品にはけっこうある)というよりは、短いフレーズをあえてアクセントを拍子頭やダウンビートで揃えずに次々に重ね合わせながらオスティナートとして演奏することで、中心が不在のグルーヴ――あるパターンの反復を味わうというよりは、積み上げられていくモザイクのようなパターンそのものに耽溺するような――を紡ぎ出すというイメージがある。いわゆる菊地成孔いうところのMiles Davis「On the Corner」問題みたいなもので、あれはテープ編集で小節頭を切り落とすことでグルーヴを見失わせるみたいな、あれを生のアンサンブルでやってるというか。

 『Remain in Light』がそういうアフロビートの方法論をかなり参考にしているのはわかるんだけど、なにかというと「ポリリズム」という言葉でかたをつけようというのは違うんじゃないの? と思う。

 また、Pitchforkのレビューでポリリズムの例として、Fela Kuti「Why Black Man Dey Suffer」の冒頭を挙げて「完結したリズムを築くに至る前に、アラブレーヴェ(2/2)上に三連符を三組配置している(...[W]hich puts three sets of triplets over cut time before building to a complete rhythm.)」とあるんだけど、鳴ってるのは「たたたん、たたたん、たたたん、どんっど」という16ビートのパターンだ。三連符とかないんですけど。あとはシェケレがずっと4/4でとれるようにビートキープしてるし、他の楽器が入ってきたあとは、アクセントの異なるオスティナートの組み合わせによるアフロビート特有のグルーヴが展開していく。おれの聴き方がおかしいんでしょうか。それとも指示してる音源や場所が違うんでしょうか……。

 とはいえ『Remain in Light』がロックという(あえて言い切るが)アメリカ音楽のなかにアフリカ音楽の要素を取り込もうとした試みとして記念碑的な作品であり、成功を収めたことは事実ではある。じっさい「Born Under The Punches」なんかはロックのグルーヴとアフロビート的なオスティナートをうまく融合した一曲としてけっこう成功していると思うし、「Once In A Lifetime」みたいな有無を言わせぬクラシックもタムまわしやギターリフのニュアンスでアフロっぽさを醸していて、この時代でしかできない達成ではあるのだろうと思う。この作品に寄せられた批判、たとえば黒人ミュージシャンを連れてきて演奏させた植民地主義とか搾取的な作品だろ、みたいなのは「文化的盗用」の問題に関心が高まる現在もよかれあしかれアクチュアルな問いであることも一応確認しておく。

 レビュー中でも言及されているように、今年リリースされたAngelique Kidjoの『Remain in Light』全曲カヴァー・アルバムを並べて聴きつつ、果たして音楽の「正統性(authenticity)」とはなんなのかに思いを馳せるのが、今日的な態度と言えるかもしれない。Kidjoのカヴァーは楽器の編成もリズムやフレーズのつくりももっとFela Kuti以来のアフロビートマナーにのっとっていて、オリジナルに残存しているロック的なグルーヴはほとんど抜けきっている。ただ「アレンジの点ではオリジナルをよくなぞっている」とピッチは言うてるけど、いや構成は維持しててもかなり思い切った翻案してると思いますよ、おれは。オリジナルにはあまり見られないポリリズム的な訛りもけっこうあるし。で、「だからKidjoのがいい」のか、「それでもオリジナルにも可能性を感じる」のかを逡巡してみるのもいいかも。いろいろと調べてみたいことはあるけどきょうはこのへんで。