ただの風邪。

音楽のことを中心にいろいろと書いています。

04 Limited Sazabys「Galapagos」からちょっと「愛国ソング」について考える。

realsound.jp

 RealSoundで月イチペースで書いているチャートウォッチ記事。タイムリーなトピックを扱うコラムと違って伸びがあんまよくないんですが、自分なりにアクチュアルな話題をとりこみつつ面白く読めるようにがんばってます。なんか修行っぽい。で、今回はミスチルやらKen Yokoyamaやらクロマニヨンズやら、ベテランが強いなかで2位につけたフォーリミ(04 Limited Sazabys)に注目しました。こういう直球のメロコアバンドが受けてるのおもしろいですよね。とはいえ記事でも書いているとおり、「みんな大好き、洗練されたメロディックパンク」みたいな枠から抜け出た伸びしろを感じさせるところもあり。

 特にMV曲「Galapagos」は深読みするとおもしろい。いわゆる過圧縮的なめまぐるしいアレンジを取り入れたギターロックにガラパゴスと名付けるのって、結構攻めてる。その自己言及的な批評精神は自虐というか開き直り、あるいは自家中毒に通じてしまわないかとも思うけれど、着々と進歩しつつあるサウンドメイクを含めて期待はしておきたい。

 さらに「列島の異常気象/アイヌ琉球、弥生にモンゴロイド/大和、縄文、倭人、純血、混血/安全圏で情報操作」って歌詞も凄い。2018年は「愛国ソング」の是非をめぐる議論が盛んになった年でもあるけれど、そのタイミングで日本のルーツにみられる多民族性にがっつり言及している。そこで歌われる日本像が近代国家のそれであれ、あるいは神話的に構築された共同体としてのそれであれ、昨今顕在化してきた「愛国ソング」においては、文化的な諸記号の操作(とりわけ日の丸、靖国、桜、御霊……といったボキャブラリーの組み合わせによるほのめかし)が先行してしまうきらいがあるように思う。それに対して、国家という枠組みが成立する以前の「日本以前の日本」に目を向けるGENの作詞センスはなかなか。この文脈を意図したわけではないだろうとは思うけれど。

 現代に暮らす日本人の素朴な実感に訴えかけようとする「HINOMARU」や「ガイコクジンノトモダチ」は、内容やボキャブラリーが問題であるというよりも、その素朴さ故に、日本人としてのアイデンティティを形成するよりもなあなあにして忘却させてしまう――この曲に共感する「ありのままのわたし」が既にじゅうぶんに「日本人」である、とミスリードしてしまう点こそが問題なのではないかと思う。「Galapagos」がそこまでの射程を含んでいるとは言えないし、まだひとつの楔を打ち込んだ程度にしかすぎないと思うけれども、こうした歌が種を撒いて、「日本人であるってどういうことだろう」と問いかけ、自明と思われているために見過ごされてしまう自らのアイデンティティのありようを再考し、再構築するような歌が出てきたらいいのにな、と思う。

 その点、冗談と思われるかもしれないけれど、青山テルマの「ONIGIRI」はあっけらかんとした「愛国ソング」としてかなり面白いと思っている。日本人といえば米じゃん、という身も蓋もない安直な発想は、しかし、非政治的に最大公約数的な日本像を描こうとしたら案外効果的なのかもな、と思う。いや、米食が一般化したのはいつからで云々とかデリケートな話題でもあるんだろうし、米食わない人や日本に住む外国人はどうすんだよみたいな話でもあるんだけれども、米がうまい、米は最高、「だんご3兄弟も生まれる前は米!」と繰り返す圧倒的なナンセンスと無駄に堂に入ったフロウは、そうした逡巡を思い切って停止させて、「あー、まあ日本人の根っこってそんなもんだよなぁ。だいたいみんな米が好き、それくらいでいいじゃんなあ」と半笑いで納得させるよくわからない力がある。「米食わない奴は日本人じゃない」とか言い出さないし。