ただの風邪。

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円環的グルーヴからの脱出――Jlin『Autobiography(Music from Wayne McGregor's Autobiography)』(2018年)

 少々遅ればせながらJlinの新作『Autobiography(Music from Wayne McGregor's Autobiography)』を聴いた。2017年の前作『Black Origami』とおよそ並行しながら、ウェイン・マクレガーの振付によるバレエ『Autobiography』のために制作されたサウンドトラックで、厳密にはオリジナルアルバムにはあたらないという。けれども、下手するとこれは『Black Origami』よりも面白いかもしれない。前作でもIDMへの接近が見られたけれど、本作でのJlinはもはやジューク/フットワークのビートメーカーという範疇を抜け出て、自在に伸縮する拍節感を操る魔術師のようでさえある。アフリカン・パーカッションのサンプル使いやタム回しといったJlinのシグネチャと言えるサウンドはいたるところにあり、かえってその作家性を色濃く感じさせている。

 いまやAphex Twinにも影響を与えている、こうしたJlinの巧みなプログラミングテクニックとリズム感は、ダンスミュージックのグルーヴに次の一手を提示しているように思える。

 まず、ジューク/フットワークのリズム構造は、一小節を分割する単位を16ビートから三連へとコントロールし、ときには異なるグリッドを重ね合わせることで生じるグルーヴの変化とポリリズムによって特徴づけられる。もちろん変則的で複雑なパーカッションの配置も重要なのだけれど、基本的にはグリッドそのものがたやすく変化してしまうという点に面白みがあると思う。同様にファンクにおいては大胆なシンコペーションが、(とりわけサンプリング以降の)ヒップホップにおいてはハシリやモタリといったビートのゆらぎが、あるいはトラップにおいてはハイハットの刻みによる緩急が、ハウスにおいては四つ打ちの反復そのものが「面白み」にあたる(個人の感想です)。

 ファンクからヒップホップ、ハウスに至る一連のリズム構造が生み出すグルーヴは、基本的に「円環的」なものだ。端的に言えばそれは一小節をどのように分割するかの問題に関わってくる。円の一周を一小節(ないしは数小節からなる一単位)と考えて、円周上のどこにアクセントを置くかによってグルーヴの色彩が変化する。それはジューク/フットワークのようなポリリズム的構造においても保たれる。一小節を三連を基準に分節するか、16ビートによって分節するか、いずれにせよ円周から逸脱することはない。

 それに対してJlinが本作で示しているのは、メトリックモジュレーションを多用した、グルーヴの単位自体までもが伸縮し、あるグルーヴからまた別のグルーヴへ、次から次へと路線を乗り換えていくようなめまぐるしい移行そのものが醸すグルーヴであるように思う。それは非アカデミズムの場でいえばジャズやブラジル音楽などでよく見られるものでことさら珍しいものではないにせよ、エレクトロニック・ミュージックのなかにこのボキャブラリーが本作ほどの自由さで取り入れられたことは画期と言えるだろう。

 しかし、円環的なグルーヴから脱したダンスミュージックのビジョンを提示した本作は、必ずしも異端ではなく、むしろヒップホップやEDMまでを含めた広義のダンスミュージックにおけるリズムの探求の突端であり、そこかしこに同様の「徴候」――かつてないリズムのボキャブラリーの拡張――は見て取れるように思う。またそういった話はまとまったらすると思う。するかな。しないかも。まあ、ね……。