ただの風邪。

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ゴールデンボンバーに未来は託せるのか?

gendai.ismedia.jp

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 ぼくは特にゴールデンボンバーのリスナーというわけではない。けれども彼らがメディアをにぎわす度にどれどれ、今度はなにをしてくれたのかな、とチェックする程度には気にかけている、中途半端な人間だ。別に悪い印象を抱いていることはない。

 しかしこのふたつのインタビューを読んでぼくはいくぶん複雑な気持ちになった。鬼龍院翔という人が繰り出すユニークなチャレンジの数々をインタビュアーは賞賛するけれども、鬼龍院自身の語り口はむしろ、マーケティングに長けた戦略家というよりは、「この時代に音楽を聴いてもらうこと」の意義を考えに考え抜いて全力で表現しようとする、こう言ってはなんだがわりあいに古風なミュージシャンシップの人のように見える。「音楽を売る」ことの虚しさを自覚しながらも、「いい曲がヒットにはなるのは間違いない」とも信じるそのアンビバレンスがゴールデンボンバーのやけっぱちのような試みたちの原動力なのだろうな、と。スマートさよりも、泥臭さ、ナイーヴさのほうにこそ、ゴールデンボンバーの最大の批評性――ここまでしてなぜ自分は音楽をやるのか? ここまでしてなぜあなたは音楽を聴くのか? という身を切るような問い――があるのではないか。

 だから前後編にわかれたこのインタビューの最後にインタビュアーが発する問いは、どうにも滑っているように思える。「もし今、鬼龍院さんが当時の事務所の社長と同じ立場にいたと仮定して、「これはいい曲だ」と思える曲を作った新人アーティストを売り出そうとするならば、どういうことを考えますか?」という問いだ。それに対する鬼龍院の答えは、若干芯を食らってないように見える。

新人アーティストで1曲、すごくいい曲があったらですね。まずやっておくのは、早めにメンバーを増やしておきますね。
おそ松さん」にファンが多いのって、あの6人にそれぞれキャラがあって、関係性ができあがっているから、男の子たちの関係性に萌えることができるからなんですよね。だからメンバーを増やすことでファンの間口が広がるという。

 なるほどそれ自体は面白いアイデアかもしれない。鬼龍院らしい、冷静な分析に基づく提案だ。知ってか知らずか実際にゴールデンボンバーがとった戦略のひとつでもあるだろう。しかし、ユニークであっても膝を打つようなものではない。あるいは、ヒットするには必須の「露出」に関する提案も、切れ味するどいとは余り思えない。

たとえばDVDを再生するときに、最初にどうしても飛ばせない部分ってあるじゃないですか。ああいうところで毎回曲が流れたら、きっとみんな覚えちゃうと思うんですよね。
そういう風に音楽が入り込める余地があるものって、世の中にいっぱいあると思うんですよ。たとえば駅の発着メロディも、ネーミングライツのようにお金で買われていくことになるかもしれない。たとえば新譜の発売日になったらその曲のサビのメロディが流れる、とか。
月曜日から毎日そのメロディが流れて、水曜にCDが発売になって、金曜の夜にMステに出るとか。そういう発想に気付けるかどうかだと思うんですよね。

 なんか就活のエントリーシートに書くみたいな話だなあ、と思った(筆者は就活をしたことがないけれど)。まあ、ひとのアイデアにあとからケチをつけることはいくらでもできるし、自分もそれがしたいわけではない。実際ここまで書いていて居心地が悪い。そういうことが言いたいのではなく、本当に言いたいのは、あたかも「目を見張る奇策」「豊かなアイデア」が鬼龍院翔から聞けることを期待しているかのような、インタビュアーの姿勢にがっくりした、ということだ。

 ゴールデンボンバーの試みの一つ一つがなぜ面白いのかと言えば、アイデアが素晴らしいからではなくて、それを実際に実行する行動力を持っており、あまつさえその大胆さそのものが彼らのブランド力に直結しているところにあるだろう。そういった状況を無視して鬼龍院をいわば「稀代の戦略家」に祭り上げようとするインタビュアーと、愚直に「いま音楽をやること」の難しさと戦っている鬼龍院自身との落差は、あまりにも大きい。

 また、ゴールデンボンバーを「CDが売れない時代」の次を担うプレイヤーであるかのように賞賛する論調にもあまり納得できない。彼らの個々の試みはいずれも近視眼的、長期的な展望に欠けるからだ。ある曲をどう売るか、という広報戦略のレベルのものを、あたかも次の時代へのステップであるかのようにもてはやすのって正直どうなんだ、と思う。これは岡崎体育にまつわるもろもろについても同じことを思う。一曲一曲、リリースのたびに面白いギミックが仕掛けられていて、話題を集め、曲が売れる。それは結構。しかし、その次は? その次の次は? 彼らの長期的なキャリアパスは? ぼくが知りたいのはそういう話だ。

 先に引用した、「音楽が入り込める余地があるものって、世の中にいっぱいある」という鬼龍院の発言は、残念ながら明るい見通しを僕らに与えてはくれない。隙間を見つけたらそれを利用してとにかく露出しろ、そうすれば売れるぞ! なんていうのが若いミュージシャンたちへのアドバイスだなんて、あまりにも貧しくないか。マーケッターや経営者的な感覚はあるのかもしれないが、たとえばアメリカのラッパーが見せるような起業家精神というのは持ち合わせてくれていないようだ。

 なにしろCDがほぼ絶滅したアメリカでスターダムにのし上がった、それこそ「CDが売れない時代」のロールモデルであるチャンス・ザ・ラッパーは、地元の小学校に何億円という額の寄付をし、フリーパーティを開き、地元のコミュニティを活性化させて次世代のカルチャーへの橋渡しをしようとしている。いやもちろんそもそも音楽産業のスケールが違うんだからそんなこと言ってもしょうがないじゃないか、出羽守かよ、と言われそうだけど、「若いアーティストへのアドバイスを一言!」と言われて「まだ人が入っていないすきまを見つけろ!」「なるほど賢い!」みたいな会話をしてるのと比較したら、マジでこの国の音楽産業袋小路まっしぐらだなって気持ちにしかならないよ。

 なにも金を稼いでばらまけと言いたいわけじゃない。せっかく「CDが売れなくなった時代」の「次」の話をするんだったら、自分たちの次の世代のためにできることはなにか、という長期的な視野を持った人の話を聴いてみたい、っていうことだ。具体的な金の話じゃなくていい、未来のために仕組みをちょっと良くするとか、後輩をフックアップするとか、そういう目線を持った人の話を聴きたいのだ。「音楽業界を俯瞰で見ている」っていうのは、そういうことなんじゃないのか? マーケティング戦略を立てられるってことが賢さの証なのか? ぼくはそうじゃないと思う。鬼龍院翔からだって、面白い未来の話を聴けるのじゃないか。答えがだいたいわかっている、自分のそれまでの書き物に都合の良い話ばかりではなく、そういう話を聴くことこそ、ライターの仕事なんじゃないのか。そう思う。