ただの風邪。

音楽のことを中心にいろいろと書いています。

(追記アリ)長谷川町蔵、大和田俊之『文化系のためのヒップホップ入門』アルテスパブリッシング、2011年

文化系のためのヒップホップ入門 (いりぐちアルテス002)

文化系のためのヒップホップ入門 (いりぐちアルテス002)

 発売された当時から読もう読もうと思いつつ機を逸しつづけていたのだが、先日のNHKFM・今日は一日ラップ三昧の熱も残っていたこともあってようやく読んでみた。「ヒップホップは音楽ではなくコンペティション」(長谷川)というシンプルな見立てによって明快に整理されるヒップホップ史は見事。とりわけ、日本人ウケしやすく、日本語ラップのプレイヤーにも大きな影響を与えてきたネイティヴ・タンや西海岸アンダーグラウンドあたりへの評価も、この見立てのもとでは違った見え方がしてくる。その点、前述した「ラップ三昧」と比較しながら読むと面白いだろう。お馴染みみやーんさんによる書き起こしが大ボリュームで公開中だ(いつも思うのだが、みやーんさんはこの献身的なまでの書き起こし能力に見合った報酬を得られているのだろうか????)。

 また、白眉は第5部「ヒップホップ、南へ」、特に「ティンバランドのサウンド革命」以降だ。大和田の名著『アメリカ音楽史 ミンストレル・ショウ、ブルースからヒップホップまで』で挑発的に提示された、アメリカ音楽史におけるラテン的要素の重要性という主題が大きく展開されていると言えるからだ。長谷川が指摘する「Get Ur Freak On=セカンド・ライン(カリブ的リズム)の復興」から始まって、両者の議論はドライヴしてゆく。ゼロ年代以降、具体的に言えばティンバランドネプチューンズ、スウィズ・ビーツといったプロデューサーの登場から、2018年現在のUSのヒップホップ/ラップシーンまでの見通しがすっと整う重要な指摘がそこかしこにある(具体的な例は省くが)。

アメリカ音楽史 ミンストレル・ショウ、ブルースからヒップホップまで (講談社選書メチエ)

アメリカ音楽史 ミンストレル・ショウ、ブルースからヒップホップまで (講談社選書メチエ)

 さらに、第6部「ヒップホップとロック」では、内面性を欠くヒップホップとロマンティックな天才像に依存するロックとの対比が語られ、改めて「コンペティションとしてのヒップホップ」という見立てが強調されるのだが、そこで語られる「ヒップホップの内省化」というトピックは2016年~17年の気分(エモ・ラップの盛り上がり)を先取りしているかのようだ。まあそもそも、エモ・ラップ自体、すでにカニエ・ウェストやキッド・カディといったラッパーの諸作がすでに先鞭をつけていたわけで、順当ではあるのだけれど……。

 ほかにもいろいろ、「ロックは個、ヒップホップは場」とか、ヒップホップを理解するのに面白いキャッチフレーズがたくさん詰まっている。「ヒップホップ入門」と言って読者をここまで連れて行くのは若干ハイブラウなのでは? と思ってしまうほど。実際、読むタイミングを逃していた理由も、「入門」というのにちょっとひっかかっていたからだし。どっこい、これまで述べてきたように、対談形式で語り口は平易なのだけれども、知的興奮はとても大きい。その点がまさに「文化系のための」入門書ってことなのかもしれない。

追記

 ちょうど椿×呂布カルマ戦からの炎上騒動に絡めて、この本におけるヒップホップのミソジニー的傾向の扱いについて批判があったのを眼にした(こちらのツイートや、書かれたのは結構前だが、この記事など。)。実際、「ヒップホップはコンペティション(ゲーム)なのだから、そのなかでひどいこと言ってるのはしょうがない」みたいなかわし方には違和感があった。また、同性愛蔑視についてもさほど深く触れられていない(ハウス・ミュージックとの対比という形で言及されこそすれ)。ジャンルを問わないエンタメ界における#MeTooムーブメントやフェミニズムの流行、あるいはヒップホップ界におけるクイア・ラップの流行やLGBTQのラッパー・シンガーの増加などが目立った2010年代の潮流からすれば、この本の射程から抜け落ちていたもっとも重要なエレメントは性的マイノリティへの視点であったかもしれない。