ただの風邪。

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ジョセフ・ヒース『啓蒙思想2.0』栗原百代訳、NTT出版

 ジョセフ・ヒース『啓蒙思想2.0』読んだ。良い本であった。18世紀フランスに端を発する啓蒙思想の掲げた理想――理性による統治――があたかも潰えたかのように見え、理性への不信や攻撃の声が保守派からも革新派からもあがるいま、あえて理性を再評価する本。

 もちろんここで語られる理性は近代フランスにおける啓蒙主義が重視した理性とはまったく違う。啓蒙主義の伝統において、理性は人間に普遍的に内在する能力とみなされており、個々人がその能力を適切に働かせる努力さえすれば、本能=野蛮に堕さずに済むとされていた。

 それに対してヒースが提示する理性の姿はかなり脆弱で欠陥だらけの代物だ。ヒューリスティックな直感に比べれば処理能力は段違いに遅く、並列処理もできないうえ、注意力が削がれれば一気に腰砕けになってしまう。とはいえ、理性は人間が自らの持つバイアスから引き起こしがちなエラーを遠ざけ、社会全体をより良いものにするために不可欠なものだ。これをむざむざなげうってしまえば、人間がこれまで引き起こしてきた悲惨――すなわち戦争であったり、政治的軋轢であったり、環境問題であったり――を拡大再生産する結果になることは目に見えている。

 そういうわけで、理性の正体をしっかり理解したうえで、どうしたらこの脆弱で欠陥だらけの理性なるものを上手に活用できるのか、というのが、ヒースによる理性の再評価の核となる問題となる。

 重要な観点は、理性とは人間に内在する能力ではなく、環境に強く依存する能力だということだ。それはたとえば論理的な思考をするために筆記用具のような外部記憶装置の助けを借りるという道具的レベルにおいてもそうだし、考え事をするときには静かな場所が(あるいは人によっては適度に騒がしい場所が)望ましいといった建築的レベルにおいてもそうだし、民意の暴走やフリーライダーを防ぐ間接民主制や税制といった社会制度的レベルにおいてもそうだ。

 こうした理性の姿を400ページ余りに渡って論じたうえでヒースは、「理性は一種の社会事業だ」(p.350)と述べる。ヒースに言わせれば、理性はひとりひとりが根性でどうにかできる代物ではなくて、人々が協力しあって適切に能力を行使できる環境をつくってはじめて意味があるものなのだ。

 ここで興味深いのは、奇しくも似通った表題を持つ、東浩紀の『一般意志2.0』との差異だ。どちらも近代フランスの啓蒙思想を出発点とし、20世紀の心理学や、それに影響を受けた行動経済学の知見を活用しながら論を進めている。しかし、両者のスタンスは正反対と言っていい。かいつまんで言うと、ヒースが社会の現状を「理性の機能不全」と分析するのに対して、東は同じものを「無意識の機能不全」と分析するのだ。

 東が「一般意志2.0」と呼ぶものは、ビッグデータの集積によって可視化される人々の意識されざる欲望=無意識の姿であり、その欲望を適切にマネジメントするアーキテクチャこそが新しい来るべき政治の姿ということになる。ヒースにとってアーキテクチャによって適切にマネジメントするべき対象が理性だったのとは好対照だ。

 この対照をより鮮やかに提示するのは、議会中継の是非だろう。ヒースは、政治家がメディア映えを重視するようになり議論の質を保てなくなるという理由で、議会のテレビ中継を一切禁止することを提案する。報道においても、視聴者にウケるキャッチーなフレーズだけを切り取らせないよう、1分未満のフッテージは使えないよう制限してはどうかともいう。こうしてメディアからあえて切り離すことによって、理性の行使の場としての議会の機能を取り戻す、というちょっと大胆な提案だ。

 それに対して東は、国会のすべての討論をネット中継し、視聴者のコメントが逐一現場でも参照できるようにする――要はニコニコ生放送を念頭に置いているのだが――ことを提案する。それによって、視聴者の流すコメントがつくりだす空気が微妙に発言者のものの言い方、考え方に影響を及ぼし、ひいてはコメントの総体が生む空気=一般意志の反映に至る、というような趣旨だ。

 理性の働きを邪魔するバイアスを排除するか、むしろ積極的に無意識が理性に働きかけることをよしとするか。どちらにシンパシーを抱くかは両書を読み比べて各々が判断するべきだろうけれども、個人的には断然ヒースだ。なぜならば、ヒースが言っていることは、少なくとも法律のレベルで実現可能性が高く、また効果もそれなりに期待できるからだ。それに対して東の言っていることは、話としてはおもしろいがそれが実装されたらどういうものが生まれるのか不確定だし、そもそもどのように実装されるのか、説得的な例を提示できていない。また、東の議論が、ヒースが繰り返し、本書のみならずキャリアを通じて批判してきた反合理主義の文脈にかなり依存しているきらいがある点も、手放しで評価できないところだ。

 ま、いずれにせよ、『啓蒙思想2.0』は分厚いがすんなり読み下せるし、『一般意志2.0』は文庫化もされており、読み物としては抜群に面白い。並べて読んでみると、タイトルの類似以上のものを感じられて、いいんじゃなかろうかと思う。