ただの風邪。

音楽のことを中心にいろいろと書いています。

■カテゴリ別ショートカット

レビュー(音楽) レビュー(本) エッセイ、考えごと

「人々の音楽」に出会うとき――ドキュメンタリー《American Epic》(2015-17)

American Epic [Blu-ray] [Import]

American Epic [Blu-ray] [Import]

 PBSBBCが制作、あのジャック・ホワイトがプロデューサーとして携わったドキュメンタリー、《American Epic》を見た。そのヴォリュームは全4エピソード、計5時間強にも及ぶ。しかし長さは感じさせず、とにかく濃密な情報と豊かな音楽に満ちた名作と言っていいだろう。日本国内での放送ないしリリースは今のところ予定されていないが、BBCが絡んでいるのでゆくゆくNHKでも放送されるかもしれない。

《American Epic》が映し出す時代

 このドキュメンタリーが映し出すのは、レコード会社がこぞって「人々の音楽」――職業音楽家が書くポップ・ソングではなく、市井の人々が歌い、奏でる音楽――を録音し、商品化しだした1920年代後半のアメリカだ。1900年代に勃興し急成長を遂げていたレコード産業は、1920年代に入って台頭し始めたラジオという競合メディアに市場を奪われつつあった。そこで行われたのが、当時怒涛の進歩を遂げつつあった録音技術に力を借りた、アメリカ各地での「タレント・オーディション」だった。それは単に田舎に埋もれた才能を発掘するだけでなく、それぞれの地方で独自に発展していた音楽文化に光をあてることになった。ときに数百マイルの距離を旅してまでオーディションに集まったミュージシャンたちは、エレクトリック・アンプやコンデンサ・マイクといった最新鋭の録音機材の前で、自分たちの音楽を存分に披露した。この録音が、後のアメリカ音楽の雛形として後世に大きな影響を与えたのだ。

 この時代に録音され、広く流通することになったカントリー、ジャグ・バンド、ブルース、ケイジャン・ミュージック、ハワイアン・ミュージックといった音楽は、成長途上にあった音楽市場に数多のヒット・ソングをもたらした。レコード会社の当初の目論見は、「ラジオは高くて手が届かないけど、手回し式蓄音機なら買える」ような、アメリカの田舎に住む労働者たちへと市場を拡大することにあった。彼らのニーズに応えるには、彼らが日頃触れている音楽を提供するのが一番だ。そういうわけで行われたタレント・スカウトではあったが、結果的にはより広いリスナーを獲得することになった。

 しかし、ことはそうそううまいこと展開してくれるものではない。ミュージシャンたちは必ずしも成功を勝ち取れなかった。一曲限りでサヨナラされることもままあり、ロイヤルティなんかないことも多かった。時代も悪かった。直後に訪れる大恐慌の時代、レコードの原盤であるメタル・プレートは貴重な資源としてどんどん融かされてしまって、もはや現存しないものも多い。好事家のあいだで出回っていた音源が1950年代にアンソロジーとして編まれ、再評価の機運が高まったことによって、少なくとも彼らの名誉は守られることになるのだけれど。その点、ブルース・シンガーであるJohn Hurtをめぐる忘却と再発見のストーリーは感動的だ。

80年の時を経て蘇る録音技術

Music from the American Epic S

Music from the American Epic S

 こうした歴史を追うエピソード1~3ももちろん興味深いのだが、個人的に一番関心を惹かれたのがエピソード4、“American Epic Sessions”だ(Sessionsの演奏を収録した上記のOSTだけでも必聴と言える。Amazonではなぜかタイトルがきちんと表示されないけど…)。エンジニアのNick Berghは、当時用いられていたアンプ、マイク、カッティングマシーンを、10年がかりでかき集めた部品で再現してみせた。完動品として現存するこれら一連の機材は、ほかにない。電力を用いるのは基本的にアンプだけで、カッティングマシーンは滑車に取り付けられた重りを動力源にしている。所定の位置まで引き上げられた重りが、ギヤに制御されながらゆっくりと落ちてゆく。重りを支えるバンドが伸びきるか、重りが床に着いてしまえばカッティングマシーンの動作はおしまい。その間おおよそ4分ほど。これが自ずと録音時間の制限となる。

 一本きりのマイクを前に、腕利きのミュージシャンが寄り集まって演奏する。電気的に増幅された演奏はダイレクト・カッティングされ、それが唯一のマスターとなる。きわめてシンプルな録音プロセスと、現在に繋がる録音環境の原点とも言えるプリミティヴなセッティング。しかしながら、その音を聴くと、思っていた以上にクリアで豊かな音像に驚かされる。高域と低域が削れ、中域がとりわけ強調されることもあってか、人間の声が楽器のアンサンブルのなかでも存在感を放っているのが印象的だ。もちろん各楽器の空間的な配置の妙によるところも大きいだろう。レコーディングを全面的にバックアップしていたJack Whiteは、スタジオにやってきたAlabama Shakesにこんな冗談を言う。

君ら自体がミックスなんだ。僕らは[ミキサーの]フェーダーを動かすかわりに君らを動かすわけだ。[マイクに向かって]一歩前に出ると、それはフェーダーが上がるのと同じ。

 あるいはBeckのセッションでは、Beckのヴォーカルとギター、そしてコーラス隊の音量バランスをとるためだけに13ものテイクを重ねている。マイクに背を向けてみたり、壁に向いて歌ってみたりとあらゆる方法を試し、ようやく手に入れた最終テイクは、切り詰められたアレンジや、ベックの歌声と厚いコーラスが見事に調和した印象的な一曲となっている。

 技術的な点でもっとも興味深かったのは、マイクの特性だ。エンジニアのBerghによれば、用いられているコンデンサ・マイクは基本的に無指向性(あるいは全指向性)で、それゆえ空間全体を捉えることができる。しかし、ある一定以上の周波数帯のみ指向性が現れるために、マイクに対して直交しない位置に音源を配置すると、高域が少しずつ削れていくことになる。つまり、楽器の音域ごとに適切な位置というものが存在するわけだ。とすれば、音源の空間的な配置は、音量の調整のみならず、現代的な言葉で言えばEQをかけることにも相当することになる。この通り、80年前の録音機材を前にしては、現在の録音技術の常識とはまったく異なる次元で仕事をしなければならないのだ。

音響と空間――《American Epic》感想の余白に

 エディソンの発明による最初期のシリンダー型蓄音機から録音の電気化以前は、録音された音と録音した空間とは対称性を持っていた。そこにあらわれる空間性はステレオやサラウンドシステムによって事後的に再現される空間性とはまったく異なる。むしろそうしたシステムは録音物を録音された空間から切り離し、再構築してしまう。そうではなく、シリンダーに、ディスクに刻まれた振動そのものが、その源となる空間のアレンジメントと切り離し得ない、そのような結びつきがあった。録音の電気化は、そうした結びつきが瓦解する端緒であると言える。

 ひとつのマイクによる一発録りであるこのSessionsにおいてはまだそうした結びつきは維持されていて、それこそが参加したミュージシャンに新鮮な驚きをもたらした。電気ではなく重りを動力源にしたカッティング・マシーンにせよ、ひとつのマイクのみを用いた点にせよ、ここに再現されている録音プロセスは録音の電気化に至る過渡期的な色合いを帯びている。

 というのも、既に1925年の時点で、このプロジェクトでも用いられた機材の開発元であるWestern Electronicは、アンプと共に電気的に制御されるカッティングマシーンをレコード会社に提供していたのだ。1また、時代は前後するかもしれないが、複数のマイクロフォンを用いた多チャンネル録音も行われるようになっている(そうでなければ、優しい歌声がオーケストラと共演するような“クルーナー唱法”は成立しない)。それを踏まえれば、Ralph Peerが20年代後半に用いたこうしたセッティングは、地方にスタジオを構えるにあたって選ばれた機動性の重視のものだったのだろう。

 けれど、こうした過渡期的な、いささかプリミティヴなプロセスは、おそらく「人々の音楽」を捉えるにあたって最良の舞台であったのかもしれない。田舎に住む非・職業音楽家の音楽を虚飾なしに記録しながら、そうした「人々の音楽」をポップ・ミュージックのマーケットに投げ入れてしまうこと。そんな芸当ができたのは、電気化以前と以後をハイブリッドに織り交ぜた、まさにSessionsにおいて再現されたような技術的条件によってだったのではないだろうか?

 だからBeckがあれだけ録音に苦戦したのは、なんだかひとつの必然のように思えてきてしまうのだ。なんといっても彼は「2つのターンテーブルと1つのマイク」を操ってブルースとフォークを奏でるミュージシャンとして旋風を巻き起こした人間なのだから。2Sessionsに参加したミュージシャンのなかで、彼ほど電気化以降、もっといえば磁気化以降(ぎりPro Tools手前?)の感覚を代表するような人間はいないだろう。そこでうまれるコンフリクトに過剰な意味を読み取ってしまうのは大目に見て欲しいところだ。


  1. 以下の項目を参照のこと。History of sound recording - Wikipedia: The electrical era (1925 to 1945) (including sound on film)

  2. “I got two turntables and a microphone”とは彼の3rdアルバムである《Odelay》(1996)に収録された代表曲、“Where It’s At”のパンチラインだけれど、出世作である“Loser”をはじめとした《Mellow Gold》(1994)の収録曲が人々に与えた印象はまさしくそんなものだったのではないだろうか。けだるいスライド・ギターのループにのって奏でられる下手くそなラップと自虐的なフック。以来彼の活動は多岐にわたっているし、こうしたイメージはキャリア初期の限定的なものにすぎないことは留意すべきだろうけれど。