ただの風邪。

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レビュー(音楽) レビュー(本) エッセイ、考えごと

「音楽が好き」とはどういうことか。心震わす4つの「音楽文.com」入賞作

 ロッキンオンが主催する「音楽文.com」に掲載されている作品から、とりわけ胸に響いた入賞作4本をピックアップ。ちょっとナメてたけどマジでヤバいサイトだ、これは。

音楽文.comってなんだ

 2016年にロッキンオンが始めた音楽評論の賞である音楽文 ONGAKU-BUN 大賞は、おおよそ季節ごとに第三回まで開催されたのち、「大賞」というお祭りのかわりに音楽文.comとして「音楽について書きたい・読みたい」という人たちのためのプラットフォームを開設した。僕もなんとなくこのブログに書いた小沢健二論を投稿してみたら掲載されたので、ちょっと襟を正して他の人の文章も真面目に読んでみた。投稿者の年齢層は幅広く、中学生から50代までが思い思いの「音楽文」を投稿している。いかにも書き慣れてますみたいな表情を見せるものもあれば、よりブログ的だったり、日記的だったり、少し不器用な印象を与えるものもある。しかし全体的なレベルは結構高い。とりわけ毎月発表される入賞作はどれも素晴らしい(個人的には、第三回音楽文大賞あたりからいい感じのノリが出てきている気がする)。なかでもとりわけじっくりと読みふけってしまった「音楽文」4作品をピックアップしてみる。取り上げられているのは普段なら聴かないようなバンドばかりだけれど、どれも読み終えたあとにはちょっと試聴したくなってしまった。

革命への第一歩。UVERworld KING’S PARADE 2017 ――女から見た男祭りの“姿” by エス子 (18歳)

 書き手のエス子さんは18歳だが、8000字を超えるライヴレポートを構成上の破綻もなくぐいぐいと読ませるその筆力にちょっと怯む。それが彼女のポテンシャルなのか、あるいはUVERworldというバンドへの愛がもたらしたものなのか、いずれにせよ圧倒されることは間違いない。とりわけこの作品をおもしろくしているのは、「男祭り」というはっきり言って奇特で異様な場を捉えたレポートであるという点だろう。UVERworldは活動の早い時期から女性ファンの多くついたバンドで、恥ずかしながら僕もまた「女の子がよく聴いてるバンド」というイメージが拭いきれていなかった。しかしこのレポートが見せるのは ちょっと引くレベルの男臭さ だ(精神的にも、文字通り嗅覚的にも)。開演前からメインフロアでは 半裸の男たちがモッシュ し、スタンド席の男たちも半裸でリフトする。ちょっと尋常じゃない。しかもエス子さんの書くところ、そのテンションはものの見事に終演まで突っ張りっぱなしなのだ。

 もうひとつ、このレポートの白眉は、「男祭り」という催しに対する女性ファンの複雑な感情が、その現場を目の当たりにすることで氷解していく、そのプロセス にある。冒頭で率直に明かされるエス子さんの抱く「男祭り」への不信感は相当なものだ。

[…]こうやって“男”と“女”で分けるライブは好きになれなかった。音楽の良いところは、人種や言語、そして性別関係なく楽しめるというところだと思っているからだ。そこを発信者である本人達が区別をつけてしまうことに疑問を感じて、今までの男祭りの女席の抽選には応募すらしなかった。観ようとも思わなかった。男祭りのDVDが発売されても、特典映像しか見ないで本編には触れないことの方が多かった。本人達には悪いが、パッケージを開封していないものだってある。男祭りをやるな、とまでは思わなかったが、アンチ的思想に近かったのは確かだ。

 ファン心理としてUVERworldのDVDはもちろん買う。しかしどうしても「男祭り」には共感できず、封さえ開けない。UVERworldファンとしての信念と、音楽好きとしての信念、2つの信念の衝突だ。それが「男祭り」に実際に足を踏み入れることによって次第に解きほぐされていく(ただし、どう考えてもそこで描写されているのは「奇祭」である。強いて言えば強烈な愛の奇祭だが)。「男祭り」にかけるメンバーの情熱、それに応える男性ファンの合唱、その光景がいつしかUVERworldに対する不信感を絶対的な信頼感に変えていく。

 終盤のパラグラフでエス子さんが起こす行動は、バンドに対する「懺悔」であると同時に「赦し」でもあるようなところがあって、さすがに8000文字超のジェットコースターを経たあとには胸に染み入るところがある。いわく、

余韻に浸る間もなく、家に帰ってすぐ、パッケージすら開けていなかったDVDを棚から手に取り、フィルムを剥がす。3本の男祭りの映像を全て見終わったときには、もう朝になっていた。ディスクを全てケースにしまった瞬間に、涙の糸が切れた。小さい子供のように、まだこんなに声を出しながら泣けるのかと、自分でも引くくらい泣いた。

 これほどの熱量でひとつのバンドを愛し、そして理解した経験のない僕は、人生を丸ごと損しているのではないかと思う。

DECIDED(初回生産限定盤)(DVD付)

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26年目のOnly oneへ。 by 小泉麦 (31歳)

 2016年をもっとも騒がせた芸能ニュースといえば、SMAP解散だろう。その衝撃はいまだに続いている。

 初めて好きになったときは6人だった。
 初めてCDを買ったときは5人だった。
 初めてコンサートに行ったときは4人だった。
 これからもずっと応援すると決めたときは5人+1人だった。

 こんななぞなぞめいた書き出しから始まるこの作品は、第一にあるひとりのSMAPファンのライフヒストリーだ。そしてまた、「なぜSMAP解散はこれほどまでに衝撃を与えたのか」を、SMAPの魔法――つまりそのアイドルとしての天分――の虜になってしまった人間の視点から綴った文章でもある。とりわけ胸を掴まれるのは、冒頭の、SMAPとの出会いを思い起こすパラグラフだ。少し長くなるが、引用してみよう。

小学生時代、まだ自分の世界には音楽なんて学校の授業以外に存在しなかった。友達とおしゃべりをしたり、漫画を読んだり、ドッヂボールをしたり……それだけで世界は十分に回っていた。
そんな音楽の「お」の字も知らない子どもに、毎週夕方に同じチャンネルをつける機会が訪れた。『アイドル』と呼ばれる彼らは6人で、しかし歌って踊ってはいなかった。確か野球をしていたのだ。それも特別上手くもないプレーの連続。
不思議な気分だった。試合をしながらやいのやいのと騒いでいるだけなのに、なぜか目が離せないのだ。彼らのコメントや笑顔に釘づけになり、気づけば放送があっという間に終わっている。
当時は理由なんて考えもしなかったが、今思えばそのときすでに彼らのスター性は発動していたのだろう。やがて歌番組で、彼らが本業の歌を披露している場面を見た。人気アニメの主題歌だった。興味がなかったはずの少女漫画原作のアニメ。翌週からそのアニメを見ることも、日課に加わった。
小さな小さな世界が、ほんの少し新たな扉を開いた瞬間だった。

 学校とクラスの友達からなる「小さな小さな世界」に住まっていた女の子が、ふとした拍子に別の世界への入り口を見つける。アイドルに――あるいは音楽であれ小説であれ漫画であれ、ひとつのカルチャー――に出会うとは、まさにこういうことなのかもしれない。ここから一直線に、小泉さんはSMAP≒生活≒人生としか言いようがない道を歩み始めることとなる。中学生、高校生……と成長していくにつれてSMAPは彼女には欠かせない存在になり、あらゆるライフイベントにSMAPの存在が顔を覗かせる。

 正直、ポップスターの熱狂的なファン、というのは、僕にとってなかなか理解しがたいものだった。音楽のスノッビッシュな音楽の聴き方を覚えてしまった故の悪癖で、自分でも未だに嫌になってしまう。これほどの熱量で誰かの音楽を楽しみ、理解し、応援するなんてことが、せめてこれからの人生ですこしでもあってほしい。小泉さんといういち個人の物語と、SMAPというグループが経験してきた紆余曲折が折り重なったこの作品を読んだあとには、かつては半笑いで眺めていた《世界に一つだけの花》購買運動や解散撤回署名運動の裏側に、こうしたひとりひとりのファンがいることを思って、胸が詰まってしまうほどだ。

 しかしそう思えば思うほど、この作品を締めくくる最後の一文の重みが増してくる。ポップスターを心底愛しつづけることが、どれほど尊い愛の贈与であることか! あえて引用はしない。実際に読んでみて欲しい。

SMAP 25 YEARS (初回限定仕様)

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おもちゃの車が繋いだもの by 彩葉ろい (17歳)

 今度は打って変わって、モラトリアムのあいまいな情緒が全体を包む、ちょっとした青春小説みたいな作品だ。彩葉さんは音楽が好きで、バンドもやってる。けれど、よくあることながら、特に決定的な目標を持つこともなく、学生時代特有のよしなしごとのなかで、そのモチベーションもとぎれとぎれになりつつある。少しでも音楽を志したことがあったら誰でも経験しうる微妙な時期に、彼女はGalileo Galileiと出会う。たったふたりになってしまった、彼女バンドのメンバーがきっかけになって。

 それゆえ彼女は前2作品で紹介したような「熱狂」や「愛着」とはちょっと違う温度でGalileo Galileiに触れるのだけれど、その感じがまた良いのだ。音楽との関係は、人生を捧げるような強烈なものである必要はないし、たとえばなにかが消えてしまったその名残に愛おしさを感じるような、そんな繊細な関係だってあっていい。解散ライヴに誘われたことをきっかけとして、珪藻土バスマットくらいの勢いでぐんぐんとGalileo Galileiの音楽を吸収し、バンド仲間のAさんとその素晴らしさを語る様子はどこか琴線に触れるところがある。

 そして迎える解散ライヴの当日。

本物の尾崎さんの声は、CDで聴いていた時よりずっと荒々しくて瑞々しくて、ガリレオとしての彼らの音楽が聴けるのはきっと今日が最後なんだという思いが突然胸のあたりにすとんと落ちてきて、気づけば右目から一滴だけ涙が頬を伝った。出会ったばかりなのに。

 そんな切なさを味わう一方で、

道々2人して「終わったね」とか「嘘でしょ」とか「え、どーしよ」とかバカみたいに繰り返してはいたのに、私の中ではまだイマイチ実感が持てずにいたため、特に喪失感をおぼえることもなかった。そうやって、わりとあっさりと武道館での一夜は幕を閉じた。

 と、どこか現実感から浮き上がったような、本人たちすらふわふわとしかつかむことができない感情も伝わってくる。しかし、彼女たちにとってこの経験は恐らく一生ものになるんだろうな、という予感がする。じっさい、彼女たちは知ってか知らずか改めて歩みを進めるきっかけを手に入れている。

私とAちゃんは今、曲作りに挑戦している。私が詞を書いて、Aちゃんがそれにコードをつけて。夏には北海道に旅行するつもりだ。その時までには未確認フェスティバルに音源を送らないかと提案したい。

 もちろんこれはまだ単なるモラトリアムのひとときに過ぎないだろう。けれど、それがなにに結実するにせよ、あるいはひとつのちょっとした思い出をつくるに過ぎないにせよ、Galileo Galileiというバンドは彼女たちの人生に一つのしるしを刻み込んだに違いない。

Last Live~車輪の軸~ at 日本武道館 [Blu-ray]

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ド田舎に住む27歳独身OL(彼氏ナシ)がMy Hair is Badを聴くということ by 藤原スズキ (27歳)

 自虐的でかなりパンチの効いたタイトルだが、前項で紹介した彩葉ろいさんの文章にも通ずる微妙なエモさに満ちた作品だ。たとえば恐らくティーンエイジャーのころから音楽好きだっただろう藤原さんの次のこんな言葉には、思わず意表を突かれると同時に、「音楽を聴きながら歳を取ること」の素晴らしさが満ちていて、何度も読み返したくなる。

 私は好きなバンドができると「もっと早く出会えていれば…」と毎回のように思うのだが、マイヘアの場合は違った。何かが間違って、私が高校生の時分に出逢わなくて本当に良かったと思っている。
[…]
マイヘアのことは絶対に好きになっていただろう。でも、もったいないと思うのだ。17歳の私にマイヘアは。

 若干こじらせ気味のアラサーの自意識が、しかしここではどこか誇らしげに、「27歳の私がマイヘアを聴くこと」を肯定してみせる。My Hair is Badを「17歳の私にはもったいないバンド」だ、なんて。彼女の心に響いた歌詞の一行一行を抑制気味の思い入れをこめながら紹介して、彼女はこう断言する。

世の10代が、マイヘアの良さをわかっていないとかそういうことではない。共感だけが好感ではないし、逆も然り。経験も捉え方も違えば、音楽の魅力はもちろん歌詞だけではないのだ。でもこんなに詞に惹かれている自分の現状を見る限り、私にとってマイヘアとの出会いは26歳だった2016年がベストだったと、そう思える。

 「いまの私に、この人たちはぴったりだ」。これはMy Hair is Badの音楽への肯定であると同時に、自分の生きてきた道筋、そして自分のいまへの肯定の言葉だ。それも、「いま」と「私」と「この人たち」が噛み合ってこそほんとうに肯定的な意味を持ってひびく、奇跡的なバランスのうえに成り立っている。もしどれかひとつでも欠けていたら? なんていうのは野暮な問いでしかないけれど、いまだ、というタイミングに出会う音楽というのはほんとうにあるし、その意味ではここで紹介している4つの作品はどれもそうしたタイミングを描き出しているとも言える。

 藤原さんはMy Hair is Badの歌詞にときに共感し、ときにちょっとした違和感を覚え、自分と重ね合わせたり引き離したりしながら日々を過ごし、ともすれば空虚になりがちな生活のなかに人生の補助線をひいていく。そんな彼女がいよいよ地元のライヴハウスでMy Hair is Badのライヴを見る。この記事を書いている6月中旬現在にはもう既に彼女はこのライヴを満喫したことだろう。そうであることを祈る。

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