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ただの風邪。

音楽のことを中心にいろいろと書いています。

「ことばが通じない」人はいる、けれど

togetter.com

 この一連のツイートがとにかく不快でたまらなかった。ずっともやもやとしていたら、増田にちょうど思っていたようなことを書いている人がいた。

anond.hatelabo.jp

もっと言えば、「自分の意図したように自分の発言が伝わらなかったこと」を、「この人ことば通じないな」にすり替えて片づけてしまうことに、それをいかにも「ことば」に詳しいですみたいな方が「こういう人はことばが通じないから仕方がないのです、こういう人には近づかないようにしましょう」と推奨してしまうことに、恐れを感じています。

 実際、飯間さんが挙げている例はどれも、「ことばが通じない」人の例ではなく、会話している人間のあいだに起こっているミスマッチの例にすぎない。それをあたかも一方は「ことばが通じる」人で、もう一方は「ことばが通じない」人であるかのように論じているのが不快なのだ。たとえばこれが、「ことばが通じないときのシチュエーションを分類してみました」だったら不快感を覚えなかったと思う。挙げられている例が、なにか配慮されてのことだろうかあまりにも穏当で、「それくらいの『通じなさ』だったら、会話していくうちに補えるじゃん」と思ってしまうのも、この不快感を後押ししているかもしれない。

 そりゃ、異様に思い込みが激しくてあらゆることばの意味を変に解釈する人もいれば、絶対的な知識量が少ないために大部分の成人相手だったら通じるようなことばがなかなか通じない人だっている。それはなかなか矯正することがむずかしいし、SNS上の処世術としてはそういう極端に「ことばが通じない」人を避けていく必要もあるだろうと思う。しかし、しばしば自分自身もまた相手から見たら「ことばが通じない」人になっていることもままある、ということには一切言及せず、「ことばが通じない」人っているよね、それってこれこれこういうタイプに分類できると思うんだよね、なんて言うのは、とても傲慢な態度に思える。*1

 SNS上で情報発信をする著名人がこういう判断基準を必要とすることはわかる。だって、ふつうの人が想像する以上に「ことばが通じない」人からのメッセージが押し寄せてきて、ひどいことばも投げつけられるだろうから。「山のようなリプライにいちいち相手していられないから、最低限のコミュニケーションをとれるかどうかの判断基準をつくって、返事をするかどうか決めています」と言われれば、その苦労をしのぶにやぶさかではない。著名人に限らずとも、「この人はそういう人だから」で済ませなくてはならない理不尽な場面は日常に山ほどある。「そういう人」にこちらが善意で近づいていって、結局すべてが徒労に終わり、自分がボロボロになるだけ、というのもよくある話だ。

 それでも飯間さんの一連のツイートには納得がいかない。あそこで提示されている判断基準からは、「マジで近づいたらヤバい奴」なのか、「単にことばを知らない人」なのかを峻別することはできないからだ。「ことばが通じる」側の人からすれば、どちらであれ近づきさえしなければ自分に害は及ばないのだから、知ったことではないかもしれない。しかし「単にことばを知らない人」とか、「単にことばのあやは理解できない人」はどんどん孤立させられることになる。なんといっても国語辞典の編纂者ということばのエキスパートによるお墨付きがあるのだから。*2

 この違和感も、飯間さんはことばの専門家でこそあれ、コミュニケーション一般や人付き合いの専門家ではないという点を差し引けば、納得がいく話ではある。飯間さんご本人も、辞書に載せる用例を集め、発表するような気持ちでこの分類・判断基準をツイートされたのだと思う。実際、それ以上のことを飯間さんは述べていない(たとえば「こういう人にはこう接しなさい」、とか言うことは避けている)。あくまで「こういう場合分けができる」という仮説を提示したまでだろう。それを「この分類に当てはまる『ことばが通じない』人は敬して遠ざけよ」という教訓のように受け止めるのが間違いなのだ。

 しかし、以上のように自分のなかでケリをつけたところで、飯間さんは自分を「ことばが通じる」側におき、「ことばが通じない」側を観察対象に据えるという選択をしてしまうのだな、という点は残念に思う。これは悪意ある読み方かもしれないが、サンタクロースの例にまつわるあれこれも、この図式を飯間さんがなかなか強固に持っていることを示しているように思えてならない。「ことばはそもそも通じないものであるというのを前提においた上でご覧ください。」という一文も、「『ことばが通じる』私と『ことばが通じない』人」という図式を前にすると、空疎に響く。

*1:くわえて言えば、そもそもこうした判断基準がなければ「ことばが通じる」人かどうか判断できない人というのは、その人自体「ことばが通じない」人である蓋然性がそこそこ高い気がする。「このなかに空気の読めてない奴がいる」と言われて他に誰も思い当たる人がいないとき、それはおそらく自分である。

*2:飯間さんがそうした権威主義者ではまるでないことは日頃のツイートからも察せられるけれども、こうした権威というものはまわりが勝手に付与するもので、自分で簡単に脱ぎ捨てられるようなものではない。