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ただの風邪。

音楽のことを中心にいろいろと書いています。

有名ウェブマガジンにどうでもいいつっこみをする、あるいは雑な翻訳記事への憤り

gigazine.net

 GIGAZINEみたいなウェブマガジンはこういうネタを知るのにたしかに重宝するんだけれど、地味な誤訳が目についてしまう。だいたいの場合、全体のニュアンスから言えばまあ意訳のひとつとしてまったく間違いとは言い切れないけれども、単語の羅列だけ見てそれっぽく訳したんだろうな、というのが透けて見える。たとえば上記の記事で紹介されている動画には、冒頭に次のような注意書きが出て来る。

The stunts you are about to see are performed by trained professionals. Do not attempt to recreate them.

 これをGIGAZINEが訳すとこうなる。

「ムービーに登場するスタントマンは専門家の指導を受けて演技をしています。マネしないように気をつけてください」

 意味を取り違えてはいないけれども、少なくともどういう文なのかを理解できていないことは確かだと思う。具体的に言えばまず主語がおかしい。この文の主語は「これからご覧いただくスタント」であって、スタントマンではない。口語的にstuntと言ってスタントマンを意味する場合もあるのかもしれないけれど、この文章では素直にスタントそのものの意味でとったほうがいいだろう。また、「専門家の指導を受けて演技をしています」というのもおかしい。スタントマンとは別にスタントを監修するプロがいる可能性はあるけれども、文章をそのまま読めば、「演技をしているスタントマン=訓練を積んだ専門家」のはずだ。文章の中にどこかから余計な登場人物が割り込んできている。これはおそらく意味上の主語をあらわすby trained professionals「訓練を積んだ専門家によって」を、trained by professionals「専門家に指導を受けた」と誤読しているのだろう。

 たとえば日本語の語感を考慮して能動態の文を受動態の文として組み換えて訳す、とかそういうテクニックはよく聞くけれども、これはそれ以前の問題で、主語の辞書的な意味を取り違えているうえに、述語にあたる部分の意味上の主語が誰にあたるのかも勘違いしている。端的にいうとまったく文章を理解していない。ただたまたまその誤訳の結果が動画の注意書きとしてなんとなくうまく機能できているにすぎない。別にこの文章がとりわけ日本語にしづらいものというわけではない。これも厳密な訳かと言われたらそうでもないけれど、「これからご覧いただくスタントは、訓練を受けたプロが演じたものです。真似しようとしないように。」という感じで特に違和感なく、そこそこ忠実に訳せると思う。

 これに類するもので以前マジひどいなーと思ったのは、なぜSF映画のスクリーンには「青色」が使われるのか? - GIGAZINEという記事で、ネタ元の記事(Future Screens are Mostly Blue - 99% Invisible)がどんな主題を扱っているのかロクに理解もせずに書いていることが丸見えだった。元記事は、Make It So: Interaction Design Lessons From Science Fictionという、SF映画に登場するいろいろなガジェットのデザインを考察した本を紹介するものだ。SF映画は荒唐無稽なだけじゃなくて、デザインのインスピレーション源としてなかなか優れているよ、ということを、ちょっと皮肉っぽい調子も交えながら論じている。さくっとまとまった小気味の良い書評という感じなんだけれど、これもGIGAZINEの手にかかるとどこか散漫で結局なにが言いたいのかわからない、あるいは「そんな適当な話してええんかい」と困惑してしまうような底の浅い記事に早変わりしてしまう。パラグラフごとの論理的なつながりを理解できていないせいで、元の文章にあった「読ませる力」みたいなのが半減どころか10分の1くらいにまで減ってしまっている。

 具体的にどのへんが一番拙いと感じたかといえば、次のあたり。

 SF映画のスクリーンに青色が多用されている理由について、Noesse氏は「自然界にほとんど存在しない『真っ青』は、神秘的で不自然かつ非人間的な印象を与えるため」と考察しています。
 ただし、これらの傾向は将来的に青いスクリーンが使われることを意味しているわけではないそうです。Noesse氏らによると、SF映画のデザインは現代のデザインの対話作用から誕生しているため、言い換えれば現代の製品をデザインするための参考にできるとのことです。例えば、モトローラが「MicroTAC」と呼ばれる携帯電話を販売していましたが、販売台数は伸び悩んでいました。

 ここでは、1)「SF映画に青いスクリーンが多い理由」、2)「SF映画に見られるデザインは現代のデザインとの対話作用から生まれている」、3)「モトローラの携帯電話に関するエピソード」という3つのトピックがあたかもひとつらなりにつながっているかのように書かれている。しかし、元の記事ではこの3つ、ゆるやかにつながりながらも、それぞれ独立した話題になっている。まず1)は、元記事で紹介している本ではSF映画のデザインをこんなふうに具体的に分析していますよ、という紹介だ。そして2)は、こうした分析をする意味はどこにあるのか? について、著者たちがどう答えているかを紹介するためのフックだ。元記事によれば、著者たちは、「SF映画をつくるのも同時代の人間なんだから、たとえ数千年後を舞台にしていても、そこに登場するデザインには同時代に生きる人々の考え方が反映されている」と説いて、SF映画をデザインのアイデア源として活用する方法を論じているそうだ。最後の3)は、SF映画を実際にデザインの元ネタにして成功した実例なのだが、注意しておきたいのは、ここが一種のポップカルチャー論にもなっているということだ。SF映画のイメージが広く大衆に浸透しているおかげで、SFっぽさが人々にウケる素地は整っている、というのが話の要点になる。

 それぞれ独立した役割を持っている3つのトピックをこんなに雑にまとめてしまうくらいだから、まあきちんと記事を読めていないんだろうな、ということは想像がつく。しかし驚くのはGIGAZINEがつけたシメの一文だ。

 スマートフォンタブレットが普及している現代は、古いSF映画で登場するようなデバイスが実現していることになります。現代の製品やインターフェースをデザインする上で、未来を描いたSF映画を参考にするのは理にかなっていると言えそうです。

 前段落でいう2)の要旨を執筆者がまるで理解していない! SF映画は「未来を先取りしている」からデザインの参考になるのではなく、現在の僕たちがデザインをどのように捉えているかを反映しているからデザインの参考になるのだ。本文にはそのものずばり、“Hence, Science fiction can help us understand what we want in the present.”とある。未来を知るためにではなく、今を知るためにSF映画を見よう、ということだ。この点で元記事に提示されている例はとてもおもしろい。ジョルジュ・メリエスによるSF映画の古典中の古典、《月世界旅行》には、「インターフェイス」に相当するものが一切登場しないのだ。メリエスが《月世界旅行》を制作した当時、「月への旅」は恐らく蒸気機関車や大砲といったテクノロジーの延長線上に存在していたのだろう。そこには車窓はあっても乗客が操作してインタラクティヴに情報を表示するような「窓」は存在しない。SF映画におけるデザインが時代と結びついていることの、たったひとつの例に過ぎないとはいえ、とても説得力を感じる。

 実を言うと最初にGIGAZINEの記事を読んだときは、「こいつらはこんなつまらないことをなに得意げに論じているんだ」と逆にびっくりしてしまって、それが元記事をちゃんと読んでみるきっかけになった。元記事もこんなとっちらかった意味不明な記事なのか? と思ったのだ。してみると、意外にも含蓄のある記事でほっとした。いやほっとしている場合ではないのだ。ここまで来ると重大な機会損失だろう。こんな雑な要約では、本来なら響くはずの読者にも響かないじゃないか。

 キュレーションメディアがいろいろと問題を起こしているけれども、こういう海外のネタを拾って記事に仕立て上げるタイプのウェブマガジンも大概なところがある。不誠実な読み方をして、適当な要約を施して、なにが言いたいのだかしっちゃかめっちゃかな記事を書いて、アクセス数を稼ぐ、というのは正直気持ちのいいものではない。金をとってるわけでもない個人ブログならまだしも、それで食ってるんだろうあなたたちは、と思ってしまう。個人ブログならコメントなりできるし、Twitterで本人に指摘もできるだろう。

 日本版NMEの翻訳もいつも微妙でずいぶん前に読むのをやめてしまったし、あるいは常習犯では決してないとはいえ、WIREDでさえごくたまに変な訳を載せていたりするので、辞書をひく手間を惜しまずきちんと元の記事まで読まなければいけないよな~、それはそれでいいけどやっぱこの雑な仕事はムカつくな~ ともやもやする。