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ただの風邪。

音楽のことを中心にいろいろと書いています。

『138億年の音楽史』? ご冗談を。

138億年の音楽史 (講談社現代新書)

138億年の音楽史 (講談社現代新書)

 『138億年の音楽史』とはロマン溢れるタイトルだ。また、著者が冒頭から一貫して提起しつづける、「音楽は人間がつくったものなのだろうか?」という問いにも、「おや?」と思わせるところがある。人間以前の音楽、それがあるとすればどれほどエキサイティングだろうか。じっさいに頁を繰ってみると、次から次へと繰り出される豊富なエピソードは読者を飽きさせることなく、その「教養」に浸ることができる。

 しかしながら、難点がいくつかある。というか、それらはまったくもって致命的なものだ。第一にそれは、紙幅の限界こそあれ、使われている言葉があまりにも曖昧だということ。そして第二に、大衆文化についての理解の浅さ(あるいは記述の軽率さ)。第三に、疑似科学的な理論に基づいた西洋の音楽理論の「自然化」だ。これが本当に2016年に出版された本なのか? 帯にある「圧倒的教養」ってなんのこと? と、聞き返したくなる。

 さて、Amazonのレビュー欄では割愛したが、以上の三点について、批判する以上は具体的に書いていきたい。

 第一の点について。第二章から第四章にかけては、「神という音楽」「政治という音楽」「権力という音楽」とそれぞれタイトルが付されている。ぱっと見素通りしてしまいそうになるが、「宗教」を政治や権力と切り離して考えたり、あるいは「政治」を宗教や権力と切り離して考える、というのは自明ではない。実際、「新たな政治の担い手となった武家たちは、音楽の庇護者ではあったものの、音楽は政治よりも、むしろ権力と結びつくことになっていく」(第三章)といった文章は、前後の脈絡からなんとなく意味はわかるような、わからないような。いちおう、「政治」をどのように定義するかについては若干紙幅を割いてはいるが、じゃあ「権力」についてはわりあいに無頓着に使ってしまっている。「音楽そのものが権力となる」といった表現も登場するが、これが具体的にどのような事態を想定しているのかは不明瞭だ。その他にも例はあるが(音楽の「かたち」という表現とか)、とにかく時代的にも地理的にも離れた事象を、こうした漠然とした言葉遣いでなんとなくつないでいっている、という印象が拭えない。

 第二の点について。「大衆という音楽」と題された第八章では、「ポップ」と「ポピュラー」の違いについて力説しているが、その根拠は薄弱だ。「ポップ」には文化に対する反抗的態度が含意される、というのだが、「ポップ・アート」に見られる「ポップ」はたしかに大衆消費社会に対する批判的態度を含んでいるとしても、いわゆる「ポップス」だとか「Jポップ」のような、極めて商業主義的に形成された言葉に含まれる「ポップ」に、本当にそんな意味が含まれているだろうか? 批評家の言葉を引用したところで、無条件にその説が説得的になるわけではない。ポップカルチャーカウンターカルチャーとユースカルチャーは互いに大きく重なりあっているが、決して同じものではないだろう。さらに言うと、ビートルズをモッズカルチャーの申し子だと言い切ってしまうあたりには絶句した。ビートルズがもともとはモッズじゃなくて革ジャンにリーゼントのロッカーズ・スタイルできめていたことはかなり広く知られていることだろう。

 極めつけの第三の点。第十章の「人間という音楽」には、既にレビューで指摘している方もいらっしゃるが、なんと『水からの伝言』の江本勝を肯定的に引用している。いわゆる「モーツァルト効果」に科学的な裏付けがあるかのような記述もある。これだけでもう(悪い意味で)おなかいっぱいだが、この章を締めくくるのは、これら(疑似)科学的な研究から言えば、人間が調性のある音楽や協和音を好むのは自然の摂理である、という驚きの結論だ。不協和音や無調の音楽は人工的で不自然なものであり、したがって人間の心を持たない、音楽以下の存在だというのだ。

 ……これが2016年に音楽について語ろうとする人間が言うことなのだろうか? 今年の春ごろにNatureに掲載された論文によれば、西洋の音楽にほとんど触れていない南米の少数民族の人々は、不協和音を不快だとは捉えなかったという。協和音程を好むのはあくまで文化的な慣習によるものという見方は、すでに多様な民族音楽にいわゆる不協和音や微分音が含まれていることから、ほとんど常識と言ってよいものだった。それが、科学的な手続きにのっとった実験によって説得力を増したわけだ。ひるがえって、この本が提示しているのはなんだろうか? 一見すると、世界中の様々な民族から得られた知識を、科学的で客観的な視線で編み直した、面白い読み物だ。しかしその実際は、世界中のあらゆる音楽にまつわるエピソードを乱雑にかき集めて、表面上は西洋中心主義を否定するような身振りを見せながら、最終的には、科学を装ったボキャブラリーによって、西洋の調性や和声の理論の正統性を主張しているのだ。

 音楽を愛する人間として、こんな話は絶対に許容できないし、厳しく批判したい。