ただの風邪。

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レビュー(音楽) レビュー(本) エッセイ、考えごと

スティーヴン・ウィット『誰が音楽をタダにした? 巨大産業をぶっ潰した男たち』関美和 訳、早川書房、2016年

誰が音楽をタダにした? 巨大産業をぶっ潰した男たち (早川書房)

誰が音楽をタダにした? 巨大産業をぶっ潰した男たち (早川書房)

 Amazonレビューを書いたのだが、長くなりすぎたので向こうではかなり削った。こっちにフルで載せておく。

 かつて、といってもほんのひとむかし前のことだが、“mp3”という単語には、どこかアングラな匂いがつきまとっていた。怪しげなウェブサイトやファイル共有ソフトを通じて違法に流通する音楽ファイルのことを想起させたからだ。“mp3”はインターネット時代の海賊盤文化を象徴する言葉だった。この本は、そうした海賊盤文化にどっぷりと浸った著者による、とてもスリリングなドキュメンタリー本だ。

 だいたい、第一章の書き出しから奮っている。

「mp3の死が宣告されたのは、1995年の春、ドイツのエアランゲンの会議室だ。」

 高音質と低容量を実現した画期的な音声圧縮技術が、業界の政治によって敗北を喫するところから話が始まるのだ。よもや、インターネットの本格的な普及を前にmp3に死が宣告されていたとは知らなかった。この、mp3という新たな規格をめぐる技術者の奮闘と挫折までを描いた第一章だけでも引き込まれる。つづく第二章では、インターネット時代の海賊盤文化の担い手となるユーザーの姿が、そして第三章では、mp3の登場によって大きな変化を被っていく音楽業界の大物の姿がつづられる。この三者が、この本の主なプレイヤーだ。

 意外だったのは、NapsteriPodといったゼロ年代を(良かれ悪しかれ)騒がせたプロダクトには、さほど紙幅が割かれていないことだ。たしかにそれらはメディアの寵児となり、かたや音楽業界の敵として、かたや音楽業界の革命児としてある種時代のアイコンとはなった。けれども、それらの重要性はあくまで、一部で既に存在していたイリーガルな音源共有文化を、ひろく一般層まで爆発的に普及させたことにある。表面上の派手なバズに目を奪われてしまうと、コトの本質というものが見えなくなってしまうのだ。この本は、それらに目をつける代わりに、そうした流行を準備した根っこの部分を、これでもかというディテイルとともに描き出していく。とりわけ、リリース前音源のリークに心血を注ぐ一握りのギークたちの姿には、ときに笑いをさそわれ、ときにちょっとした感傷をさそわれてしまった。アングラな活動ならではの厳格なルールとヒエラルキーは、たとえば日本のワレズコミュニティにも似た空気感を覚える。それはたとえば、ばるぼら教科書に載らないニッポンのインターネットの歴史教科書』を読むときのざわざわとした、むずがゆいような興奮に満ちている。その一方で、彼らがどれだけ取り返しのつかない打撃を音楽産業に与えたかを思うと、少し身震いもする。

教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書

教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書

 全体に通底するトーンから言えば、この本は、いよいよその役割を終えようとしているmp3に対する、一種の追悼だと言える。音楽産業はインターネットとの付き合い方をようやく心得てきたようで、GoogleAppleといった巨大IT企業の力を借りて、新たなビジネスモデルを構築している。そこにはもはやmp3の居場所はなくなっていくだろう。ストリーミングにはmp3よりも効率的な技術が用いられるようになり、ブロードバンドの普及に伴ってロスレス音源やハイレゾ音源の配信も、もはや当たり前になった。テラバイト単位のストレージを個人が所有する世の中で、音源のデジタル化に際してmp3を積極的に選択する理由はもっと薄れていくだろう。mp3はもはや、余生を生きていると言って過言ではない。狂騒を終え、ノスタルジーに満ちた本書の終章も、それを物語っている。しかし、この本に記されたあらゆる出来事は、単なるノスタルジーにとどめるにはあまりにも面白く、興味深い。ここからどのような教訓を得るかは、三者のどの視点に入れ込むかでまるきり変わってくるだろう。きわめて豊かな読み方が可能な、よく練られた一冊だと思う。

 しかし、くどくどと繰り返すようだが、個人的にはやはり、イリーガルな音源共有に血道を上げるギークの姿に感情移入せざるをえない。それは単なるインターネットをアナーキーユートピアと同一視するものではない。根底にあるのは、先日ダニエル・ミラーの講演に触れて言及したような、巨大IT企業によって音楽の流通を独占されてしまうことに対する違和感だ。カニエ・ウェストやフランク・オーシャンといった大物アーティストたちは、Apple MusicやTidalといった大手ストリーミングサービスと上手に付き合うことで、アルバムという表現形式そのものを復興させると同時に、それを更新するような試みを繰り返している。それは結構なことだ。カネをかけることのできる人間だからこそできる革命というものも存在するのだ。しかし、ひとにぎりの巨大企業が業界を事実上独占しかねないこの趨勢のなかでは、そこにあえてアゲインストしていく必要もあるように思う。なにも違法ダウンロードしろ、と言いたいわけじゃない。インターネットが持つ、オルタナティヴな(非)経済活動のポテンシャルを、常に意識しなければならない、ということだ。