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ただの風邪。

音楽のことを中心にいろいろと書いています。

“post-truth”に反対する唯一の手段は。――tofubeats《FANTASY CLUB》をめぐって(B面)

以下の文は、特に何を言われたわけでもなく、先のレヴューに加えてもう一本レヴューを書いてみようかという思いつきから書いてみたものだ(なのでB面)。したがってよりはっちゃけているというか、僕のファンタジーが炸裂しているように思う。そのあたり、ご容赦いただきたい。

何がリアル/何がリアルじゃないか/そんなこと誰にわかるというか
(Tr.2 SHOPPING MALL)

2016年を覆った絶望にも似た状況にこの一曲は良かれ悪しかれ深く響いた。翌年には、この絶望さえ“post-truth”と名付けられるや否やそれ自体消費の対象となり陳腐化してしまい、挙句の果てには恥も外聞もなく嘘をつき、隙きあらば論敵をフェイク呼ばわりすることが政治そのものであるかのような世界が訪れることになる。たとえば一世紀後の作家たちはこのスラップスティックをもとにどんな荒唐無稽な物語を紡いでくれるだろうか。そんなことを想像するくらいしか救いはない。

そんなとき、tofubeatsがリリースしたのは、いわば「祈り」*1のアルバムだ。それはおそらくは宗教的献身を欠く故に、微妙な陰影をたたえてもいる。しかし2曲のチャント――この構成自体が原初的な「祈り」を思わせる――に導かれ、背中をぽんと押されるように終わるこのアルバムは、不思議にポジティヴな力を聴く者に与えてくれる。《First Album》や《POSITIVE》のようなサーヴィス精神旺盛なキャッチーさはなく、むしろ内省的とさえ言えるこのアルバムだけれど、一枚を聴き通したあとにもたらされるふとした身軽さは、もしかするとこれまでで一番明るく、暖かい印象を人に与えるかもしれない。

まるでそれは、tofubeatsの「祈り」が、僕たちにある種の「救い」*2を与えているかのようだ。

しかしtofubeatsの「祈り」は僕たちリスナーに向けられたものではない。ましてや理解を求めてすらいないのかもしれない。たしかに彼は表現者である以上ある程度の理解を求めてはいるだろう。しかしいまそのプライオリティは格段に低いのではないか。そう思える。たとえばそれは、彼の「祈り」のそのささやかさに見て取れる。彼は誰ともしれない「君」やあるいは自分自身に対しての、小さな、しかしかけがえようのない望みを歌詞のなかに織り込んでゆく。身近な人に喜んで欲しい(Tr.2 SHOPPINGMALL)、だとか、君とうまくいきたい(Tr.8 What You Got)、だとか、ラヴ・ソングにも満たないようなささやかな望み。しかし彼はそれを、僕のこの耳で聞く限りにおいて、心から願い、祈っている。

なに、たったそれだけのこと――そういいきってしまえばそうしてしまえるようなこのささやかな心の動きこそが彼にとっていま表現するに足る切実さを持っているのだろう。このアルバムが僕たちに「救い」にも似た軽みを与えてくれるのは、むしろそうしたささやかさに心を研ぎ澄ますことそのものの大切さを、身を挺して提示してくれているからなのではないだろうか。

単純な動きさえ/きっと何かの感情
(Tr.11 YUUKI)

ふとした単純な動きにさえ、なにかの感情を見出すこと。すなわち――ささいなことをささいなことと片付けずに、真摯に向き合うこと。「祈り」とか「救い」といった言葉のうさんくささにうんざりしてしまった人は、そう読みかえてもらってもさしつかえない。tofubeatsがこのアルバムで「祈り」の身振りを通じて伝えようとしていることとは、まさしく、この「祈り」の質、すなわち些細なものへの真摯さそのものであると僕は思う。

それはまた、“post-truth”と名付けられたいまを生きる僕たちに個人として残されたほとんど唯一とも思えるサヴァイヴの方法だ。factの積み重ねと、そこからtruthを生起させる諸々の手続きがなし崩しになって、なにものも信じがたくなったあとに残されるのは、ただ自分の身の回り、手の届く範囲に起こるさまざまなよしなしごとに対して、真摯であろうとすることくらいだ。それはときに内省となり、虚無感とごっちゃになった激情をも生み出すかもしれない(What You Gotの暴れまわるような“夜から朝までparty/窓開けたらめちゃsunny/何を得たのかわからない/取り出して並べてみたい”というラインのように)。しかしそれであれ、フェイクに身を投じてわけがわからなくなってしまうよりもずいぶんマシだと僕は思う。

つまり、tofubeatsがこのアルバムを通じて僕たちに与える「救い」は――そんなものが本当にあるとすれば、だが――その「祈り」から透けて見えるアティチュード、スタイルそのものなのである。たしかに彼はちょっと不安定で、知りたいことや知りたくないことに囲まれ、ショッピングモールを彷徨するひとりの人間にすぎないかもしれない。しかし彼の、些末な事象へ見せる真摯さ、それこそが数少ない今まさに信じうる正しさなのではないか。

「戰争に反對する唯一の手段は」と吉田健一は書く。「各自の生活を美しくして、それに執着することである。」と。実を言うと、この有名な文句に僕はどうも納得がいかなかった。エッセイをまるごと読んでみても腑に落ちなかった。美しさなどという怪しげな概念を平和への賭け金にしてしまうとは。しかし、tofubeatsのこのアルバムを聞いた僕は思わずこうひとりごちてしまった。――“post-truth”に反対する唯一の手段は。その手段は、各自の生活を美しくして、それに執着することである、と。大胆にパラフレーズさせてもらえば、ここでいう「美しくする」とは「ささいな細部まで気を配る」ことの謂であり、「それに執着する」ことだけが、あわよくばフェイクの世界へ足を掬おうと待ち構える世界へ抵抗する手段なのだ。

《FANTASY CLUB》でのtofubeatsの「祈り」は、その実践である。

*1:あくまでカッコつきの、特殊な意味での(あるいはなんの含みもない)「祈り」だ。後述

*2:これもまた大仰に思えるかもしれないが、後述する

青春を脱ぎ捨てて、イノセンスから遠く離れて――tofubeats《FANTASY CLUB》をめぐって(A面)

以下の文は、tofubeatsからちょっとした小文を依頼されて書いた、《FANTASY CLUB》のレビューである*1。諸々のインタヴューやレヴューが出回る前に書いたものであること(奇遇にも脱稿はWIRED日本版編集長・若林恵氏によるライナーノーツと同日――4月19日である)、本文中に登場する音源等はオリジナルの原稿には存在せず、当ブログに投稿するにあたり挿入したものであることをおことわりしておく。(なお、B面はこちら

はじめに:掛け値なしの最高傑作

少し思い入れの入った変則的なレビューになりそうだから、最初に通り一遍のことは書いてしまおう。

tofubeatsのキャリア4作目、メジャー3作目のアルバムにして、最高傑作が届けられた。これまでになく内省的ではあるが、それゆえtofubeatsというアーティストのあらゆる意味で信頼に足るパーソナリティがむき出しになっている。また、内省的でいながら、バラエティに富んだビートの数々。

YouTube上で発表されて以来、2016年のベスト・ソングに挙げられることも多かった“SHOPPINGMALL”(Tr.2)に対して、KANDYTOWNからYOUNG JUJUをフィーチャーした切なくスロウな“LONELY NIGHTS”(Tr.3)はそのナイトライフ・ヴァージョンとも言える仕上がりだ。もともとは神戸市のU30 CITY KOBEに提供されていた“THIS CITY”(Tr.10)のド直球なメロディアス・テクノも、アルバムいちの長尺をまったく感じさせない。“YUUKI”(Tr.11)や先行シングルの“BABY”(Tr.12)といったバラードも、ポップ・ソングとして普遍的な輝きを放っていると言っていいだろう。アルバムとしてのトーンはジャケットが見せるようにやわらかな水彩画のようにふわりと統一されていて、一曲一曲の粒の揃い方にソングライターとしての成熟をたしかに感じる一枚だ。

しかし、僕にとってなにより印象的なのは、tofubeats自身のヴォーカルだ。アルバムごとに多彩なゲストを迎えてきたtofubeatsが、本作に限ってはとにかく自ら歌っている。その歌声を聴きながら僕はいくらか思うことがあった。少し長くなるが、思うところを書いてみようと思う。

神の不在に歌われる歌は

tofubeatsの歌はいつもどこか不器用だと思う。上手いとか下手という話ではなくて、なにか奇妙なためらいを湛えた歌声だ。もはやトレードマークとなった照れ隠しのオートチューンがそれに拍車をかけている。

中学生の時分から野山をかきわけるようにキャリアを積み重ねてくるなかで、いちプロデューサーとして人前に出ないことを選んだってよかったはずだったが、おそらくどこかのタイミングで彼は自分で歌うことを引き受けた。自分が歌わなければ誰も歌ってくれない歌があること、自分があげなければ誰にも聞かれない声があることに気付いたから、だろう。そこのところをあえて背負って立っている重みがtofubeatsの歌声にはある。そして実際、《Fantasy Club》はそうした歌や声に満ちていて、このために彼は歌っていたのかと深く得心するのだ。

たとえばカニエ・ウェストが内省の果てに宗教的啓示に打たれたかのようにゴスペルに回帰したように、僕たち日本人にも神がいればよかったのに、と思うことがある。神なき世界で歌われるべき歌とは。とりわけ、なんにもたしかに信じられないようなこのご時世に歌われるべき歌とは。

FANTASY CLUB/入れたら良いな/信じたいことは/信じにくいから
でも反対には/行けないしなって/音鳴らしたりした/FANTASY CLUB
(Tr.13 “CHANT #2”)

そんな歌とは、こんな歌だ。そう思わずつぶやいてしまうような、秀逸な詞だ。なにかを「信じる」ということに誠実であろうとすればするほど「信じたいこと」はどんどん「信じにく」くなる。しかし「信じない」を選ぶわけにもいかない。そんなときなかば無造作に鳴らされる音が積み重なって、積み重なって、そこからこのアルバムは編み上げられた。そんな想像をする。

また、「入れたら良いな」と歌われる“FANTASY CLUB”(Tr.6)の正体はどうだろう。夢のような、しかしどこか不安定で儚いパッドの音色は。信じたいはずの夢の世界さえ不確かで――あるいはこのように茫漠とした危うさを抱えてこそファンタジーであり、夢であるということだろうか。どうやらFANTASY CLUBに入ることが叶ったところで、同じような彷徨を繰り返す羽目になりそうだ。なにかを信じることさえ躊躇われるこの世界と、さして変わらない。

tofubeatsの歌声に宿っているためらいの音色は、そのまま彼の見せようとする世界のありさまでもある。なんと身も蓋もなく、誠実な歌声だろうか。

青春を脱ぎ捨てて、イノセンスから遠く離れて

歌声。そういえば、アルバム中屈指のダンス・チューンである“WHAT YOU GOT”(Tr.8)は、tofubeatsらしい多幸感を覚えさせてくれる一方で、曲中盤で聞かれる「ちょっと不安定」な感情が暴れだすかのような荒々しいヴォーカルはまるで初期衝動丸出しのパンクだ。

新しい音たくさん浴びたいまだまだ 不完全/君と踊りたいしうまくいきたい/他のこととか別にいいよ
(Tr.8 “WHAT YOU GOT”)

クラブ・ミュージックの美学のひとつがその匿名性にあるとすれば、誰であれ分け隔てなく注がれる普遍的な愛ではなく個人的なラヴ・ソングが感情もむき出しに歌われるのは、ある種の反則的な「青臭さ」にカウントできるかもしれない。これもtofubeatsの「らしさ」のひとつだろうし、彼が醸し出すポップネスの源泉でもある。

けれども、もはやtofubeatsにとってかつてのようなハイスクールはその面影さえない。かわりにあるのはショッピングモールだ。そんな彼がこのアルバムで描く生活は、どこかごつごつ、ざらざらとしている。かつてそれを人はリアルと言ったろうが、いまや適切な言葉はどこかに消えてしまった。

これ以上もう気づかないでいい/君は
君は いい/君は 気づかないでいい
(Tr.1 “CHANT #1”)

イントロとアウトロを飾るチャントは一種の祈りの歌であると同時に、呪いの言葉でもある。もう「君」は余計なことに気づかないでいい! しかし恐らくtofubeatsはその言葉が「君」に届かないことにもう気づいている。逆に「君」は律儀にもtofubeatsの言葉を反復し、ひとつひとつの気づきをスティグマとして背負っていくだろう。あるいは、笑顔の裏に涙を隠す「君」(Tr.12 “BABY”)はとっくにいろんなことに気づいてしまっているだろう。

tofubeatsというかつてのアンファンテリブルはすっかり大人になり、イノセンスをみずからふたたび手にすることはかなわなくなった。彼にとって、それを喪失と成長の物語として語り直すには――我が子を得たチャンス・ザ・ラッパーが“Same Drugs”でしたようには――まだ迷いが多すぎるのかもしれないし、そもそも彼は自分の人生をそのように物語としてアウトプットすることそのものに関心がないのかもしれない。イノセンスから遠く離れて彼は、ただ逡巡すること、それを彼なりの誠実さとしてアウトプットすることを選ぶ。

踏み込んだ道の途中/きっと何かの感情/歩き出すその勇気/持っているだけできっと/大丈夫
(Tr.11 “YUUKI”)

美しい喪失の物語など必要ではない。ただ歩き出す勇気さえ持っていれば大丈夫。内省的なトーンのなかでぽかりと開けた明るみのようなこの一節を強調するかのように、このアルバムはドアを開けて歩き出して終わるのだ(というのは我田引水にすぎるだろうか?)。あっけないほど平穏な鐘の音や汽笛の音は、聞き手の僕らにもまた歩き出すことを促す。「きっと大丈夫」と囁きながら。

*1:なんでお前が、という質問には、僕は答えようがない。ただ古い友人だということ以外には。

ebayで電子部品を購入するときの検索ワードのコツ

ネットで電子部品を買う

 電子工作をしたい。そんなとき、近くに電子部品ショップがあれば話は早いがそうでもないとなるとネット通販に頼らざるをえなくなる。安さ、品揃え、納期などを考えると総合的にはやはり秋月電子マルツパーツ館といった大手が便利だ。

akizukidenshi.com

www.marutsu.co.jp

 しかし、時間はかかってもいいからとにかく安く、という人で、クレジットカードを持っている人には、最強の手段がある。ebayである。ebayには中国の業者が馬鹿みたいな値段で(しかも送料無料で!)パーツ類を出品していて、10個パックで100円前後……つまり単価が10円~20円、下手したらひとケタにおさまることもざらにある。そういうわけで、僕は部品が足りなくなってきたなーと思うとebayでまとめ書いをしている。マルツパーツ館なんかは送料の安いメール便オプションもあるので緊急時には便利だが、備えあれば憂いなし、ふだんのストックはebayで買うのがベストプラクティス。幸い、いまのところトラブルにはなっていない(なっていたとしてもたかだか百円なのだが…)

ebayでの検索ワードのコツ!

  • 抵抗(resistor)、コンデンサ(capacitor)
    抵抗やコンデンサのたぐいは、たくさんの値がセットになったキットがたくさん売られている。だいたい10個×20種類とか、もっとすごいのでは1000個以上もの抵抗やコンデンサが詰め込まれたキットもある。そんな商品を探すときは、resistorcapacitorに加えてassorted kitなどと検索してやるといいだろう。以下に例を示す。

goo.gl

  • 可変抵抗
     これはpotentiometerに任意のカーヴタイプと値を組み合わせて検索すれば良い。ただ、日本で手に入るのと結構かたちがちがったりして、全部揃ってないと気持ち悪い人にはアレかも。

  • プラグ、ジャック
     フォーン、DCなど、プラグやジャックも格安で入手できる。そのとき、必要な仕様を把握しておくと検索が楽になる。たとえば標準フォーンプラグのモノラルが欲しい時は6.35mm mono plugなどと検索してやるとよい。だいたい念を入れて、maleとかfemaleと加えてやると精度が上がるけど、向こうの業者は商品名が適当でとにかく検索にひっかかるようにしているので、きちんと画像や仕様の説明を読むようにしよう。ほか、タイプによっては、パネル取り付け型が欲しければpanel mount、基盤取り付け型が欲しければPCB Mountなどと加えると、望みのものが見つかるかもしれない。また例を示しておこう。

goo.gl

  • IC
     IC類はそのまま型番を入力すればいいのだけれど、日本でよく流通しているものとタイプが違うときがあるので気をつけよう。また、DIP(ユニバーサル基板で使える2.54mm/0.1inchピッチの脚を持つ規格)なのか表面実装なのかをチェックするように。安い! と思ってまとめ買いしたら死ぬほど小さい表面実装型だったという悲劇もある。

  • はんだ線、リード線
     はんだ線なんかもめっちゃ安く買える(品質はちょっと落ちるかもしれないが)。たんにSoldering Wireと検索してやればよい。あと経験上、なぜかはんだ線は納期が早い。なんでだろ? たまたまかな。リード線も、Electronic Wireと検索するとよいが、こっちは国内で買うのとたいして変わらないかも。

  • ノブ
     可変抵抗用のノブなんかもバカ安である。単にknobそしてつまみの直径を組み合わせて検索する。このとき、ローレット(ぎざぎざ)付のがほしければknurledtaper、半月型のが欲しければd shapeないしhalf moonと加えてやるとよい。

  • ほか、全般
     たいていの商品は、数個パックで販売されている。そのとき商品の個数を指定したければ、n pcsと加えてやる(e.g. 10個なら10pcs、100個なら100pcs)。
     さらに、だいたい送料は無料なのだが、たまにふつうに送料をとるところがある(とはいえこれも200円とかなんだけど…)。“Free International Shipping”という表示があれば安心だ。業者を選ぶときは、できれば評価が99%以上だと望ましい。それ未満だと、まあやたら遅かったり、商品の品質も悪かったりなんてことがあり得る。五十歩百歩と思われるかもしれないが、精神衛生上、やはり99%は下回らないほうがよい。

 とりあえず、現場からは以上です。それではみなさい良い電子工作を!

トークボックスをDIYする(500円以下で)

 ひつようなもの

  • いらないスピーカーユニット(ほら、メーカーパソコン買ってきたらチープなのが付いてきたりしたでしょ。ああいうのが家にひとつくらいあるという前提で)
  • DCジャック(内径2.1mm、外形5.5mm)
  • フォンジャック(6.3mmモノ)
  • LM386アンプ*1
  • 漏斗
  • ビニールチューブ*2

 これらがこうなって(略)、こうじゃ

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 最初は手持ちのギターアンプからの出力を受けるパッシヴなトークボックスにしようとしたが十分な出力が得られず、仕方ないからLM386でプリアンプを… と思って最低限の回路(データシートに載ってるやつ)を組んでつないでみたらなんとじゃんじゃん出力が稼げる。インピーダンスの問題かなんなのか。

 漏斗とスピーカーユニットの接着にはグルーガンを使っており、裏側の開口部は防音のため各パーツを組み立てたあとにくしゃくしゃにした新聞紙をつめてダンボールで蓋をしてます。それだけ。音がひどくひずむのであんまり音色のバリエーションや強弱のニュアンスは広げられないけれど、家に余ってるパーツで実質漏斗とビニールチューブだけで完成したので、文句なし。

Daft PunkのSomething About Usも録ってみた。

 まあ、こんなもんですね。子音の発音がめっちゃ難しい。練習が楽しい。以上です。

*1:DCジャック、フォンジャック、LM386はお近くの電子部品ショップや秋月電子通商とかマルツパーツ館で一個百円以下で買えます。もしクレカが使えるなら、ebayで買うと単価は10円~20円になります(10個パックで100円、とかいうのがザラにある。ただし2~3週間の納期が必要。)

*2:これは変にネットで買わずにホームセンターへGO。買う予定の漏斗とチューブがぴったりあうことを確認しよう

Corneliusの新曲、“あなたがいるなら”は現時点で彼の最高傑作だと思う

 いいからいっぺん聴いて。とひとこと言って終わらせてしまいたい。が、思ったことがいくらかあるので書く。ちなみに坂本慎太郎の詞についても触れるべきかと思ったけれど、ちょっとそこまで手を広げるのは手に余るために、詞そのものの良さというか凄さには本稿では触れない。坂本慎太郎の詞の凄さを言わずしてなにを言う、というような批判は甘んじてお受けします。

リズム→グルーヴ

 一聴してこれまでのCorneliusとちょっと違うな、と思わされるのは、持続の感覚だ。BPMはおおよそ64前後(アプリで手計測)。極端に遅く、キックとスネアが刻むビートも最初はきわめてシンプルだ。第一にはこの遅さとシンプルさが持続の感覚の根源だ。それが次第にハイハットやシェイカーによって体感速度を加速させ、そして減速させる。イーヴンな8ビートを示唆する拍裏のハイハットが二番目のAメロの後半からスウィングしはじめたかと思うと、ギターソロの入るブリッジ部分以降は16ビートに変貌していく。しかしそれでもキックとスネアは維持されているために、明確な持続感がもたらされる。この持続のなかに生まれる緩急が、うねりの感覚をつくりだす。

 持続、といえば、最初から最後まで鳴り続けるエレピの音色もそうだ。基本の4小節のパターンを繰り返し続けるこのエレピはほとんどドローンだ。そしてまた、このエレピにかけられたパンニングもその持続の上で速度を変えながらうねり続ける。

 Corneliusはこれまでポリリズミックなアプローチを(とりわけ《Point》以降)好んで用いてきた印象がある。たとえば《Point》に収録された“Point of View Point”ではギターとドラムのパターンが複雑に絡み合うことで小節の頭や拍裏、拍表の感覚がめまぐるしく変化していく。

 《Sensuous》ではそうした傾向がよりやわらかいテクスチャのなかで展開されている。

 パートごとに小節がまわりこみ、あるいは同じグリッド上で異なるリズムパターンが重なりあい、めまいを起こすようなサウンドスケープが繰り広げられる。リズム構造に関して言えばそれがこれまでのCorneliusだったと思う。

 それに対して今作は、あからさまなポリリズムではなく、むしろ先述した持続の感覚の上に積み重なる繊細なグルーヴを提示する。そのグルーヴが繰り出すうねりはこのうえなくエモーショナルだ。

解体→再構築

 持続の感覚はCorneliusならぬ小山田圭吾自身*1の歌にも感じられる。それはいわば、これまで解体の対象だった言葉たちが、あらたにひとつらなりの詞へと再構築されているかのようだ。《Point》以降、彼の歌はしばしば音節ごとに解体され、ひとつの声としてあたかもギターやドラムやシンセサイザといった数ある素材と並列に存在しているかのようだった。たとえば《Sensuous》からのシングル“Music”のサビでは「We Need Music」というフレーズが「うぃー」という音と「にー(ど)」という音に解体され、ハーモニーを奏でている。平歌も節単位で細切れとなり、絡み合うリズムのなかに溶け込んでいる。

 あるいは同アルバムからの“Gum”はその実験が顕著で、ここでは言葉が音節単位にまで分解され過剰なエディットを施されている。

 こうしたアプローチは彼がプロデュースを手掛けたsalyu × salyuでもフィーチャーされている。同プロジェクトは“あなたがいるなら”でも組んだ坂本慎太郎との仕事で、間違いなく“あなたがいるなら”へと繋がるものがあるのだろうけれど、言葉の解体の極みといった趣がある。

 そしてまた、こうしたアプローチに対して今作で小山田圭吾はあきらかに声ではなく歌をうたっている。たしかに日本語の自然なリズムから逸脱する奇妙な符割りは、一見なんということのない愛慕の歌にひとことひとこと驚きをもたらしている。けれども、Corneliussalyu × salyuでおなじみだった、エディットされた歌声がハーモニーを奏でるようなことはない*2。たったひとり、小山田圭吾がマイクの前で歌っているのだ。そこに断絶はない。ゆえに、このヴォーカルにも持続の感覚が宿っているのだ。

エディット→エモーション

 歌だけではない。《Point》以降のCorneliusの諸作品に特徴的な大胆なエディット*3感覚が後景に退いているのだ。ここで僕の言うエディット感覚というのはつまり、カットアップに近い切れ味の鋭い音の抜き差しや、デジタル性の強い静寂のことだ。その欠如もまた、持続の感覚を強調しているように思う。もちろん、ところどころ効果的に用いられている。イントロでのドラムの抜き差しや、時折かけられるリヴァーブなどにその片鱗はみられる。しかし、先述したようにヴォーカルにはあからさまなエディットは施されていない。多少補正されている可能性はあるが、以前のようにエディットすることそのものを強調するかのような素振りは見せない。

 その結果生まれているのはなにか? このうえなくエモーショナルで、聴くものの感情をゆさぶる効果だ。ポリリズミックな音の快楽に身を委ねるかわりに、繊細なグルーヴの変化によって詞の持つエモーションを倍加させてゆく。言葉を解体する実験に没頭するのではなく、その言葉のひとつひとつを驚きとともに提示する。そしてブリッジに挿入される小山田のギターソロの、なんという素晴らしさだろう。それはまるで歌のように雄弁で、これもまたエモーショナルな感動を呼び起こす。

 Corneliusの新曲、“あなたがいるなら”は現時点で彼の最高傑作だと思う。なぜならそれは、これまでに述べてきたように、小山田圭吾がこれまでに繰り返してきたアプローチが転回/展開し、「実験的」な装いをはなれて普遍的なポップ・ソングを生み出すに至った、その成果だからだ。

*1:あくまでCorneliusバンド名で小山田圭吾はそのメンバー、というニュアンスです。混乱してるわけではありません。あしからず。

*2:若干追記しましたが、ハモりがないのではなく、分解された言葉がハモったり追い掛け合ったりしないってことです。

*3:そもそもこのエディット感覚はサンプリングを多用していた《Fantasma》以前のアプローチを換骨奪胎したものだとも言えるのだけれど。

Abletonの教育コンテンツ、“Learning Music”がすごい

learningmusic.ableton.com

https://gyazo.com/666991587124810d0270fd68997eb722

 FactMagから。Abletonが音楽制作の基礎を学べる“Learning Music”というコンテンツをローンチしていて、これがかなりよくできている。最初はAbleton Liveのセッションビューを模したようなかんたんなフレーズシーケンサーで遊んでみることからはじまって、リズムとはなにか、スケール、コード、ベースライン、メロディの役割、楽曲の構造に至るまでを、ブラウザ上のシーケンサーで実際に打ち込みながら学ぶことができる。特におもしろいのが引用されている実例で、QueenBob MarleyはまだしもInner CityのGood Lifeみたいなテクノクラシック、BeyoncéやGrimesといったポップスター/インディースターの楽曲など、いまDAWをつかって音楽を始めよう、という人にぴったりあわせた選曲だ。ちょっとした楽曲分析(もちろん楽譜はなし、直感的なデザインのグリッドライクなシーケンサーを使う)も添えてある。

 また、テクノなどを例に出しているからこそ学べる例というのもたくさんあっていい。たとえばIkonikaのPraxisを例にひいているページでは平均律上のスケールとは異なるピッチでも音楽はできるよ、と示唆していたり、Robert HoodのRideを例にひいているページではメロディーとベースラインなんて区別がなくなっちゃうような場合だってあるよね、と示唆していたり。ベーシックな楽理をインタラクティヴに学びつつ、モダンなエレクトロニック・ミュージックにぴったりなアプローチも学ぶことができる、地味にすごいコンテンツだ。ちなみに、Advanced topicsというチャプターではスケールやらモードやらちょっとだけ高度な話題も提供している。これも、ひととおりベーシックなレッスンを通過したあとならひとまず理解できるようになっている。

 さらに言えば、全体的にシーケンサーの出来もいい。

https://gyazo.com/a578f83ac51bd88e66589d430bdb775b

 こんなふうに、ひとつのページに複数の独立したシーケンサーが並んでる画面がよくでてくるんだけど、一方の再生中に他方を再生すると、どれもちゃんと次の小節頭で同期して再生されるようになっている。

 楽曲のマクロな構造を解説するチャプターなんかのデザインも素晴らしい。

https://gyazo.com/91faf1c1c0caca77c7e71de9e2533757

 ブリッジとかヴァースとかコーラスといったパートがシークバーに紐付けされていて、知りたい部分をクリックするとYouTube動画の再生時点も移動する。ここでも「このパートは楽曲全体でどんな役割を果たしているか」みたいなことが平明に解説されている。

 これがブラウザ上ですべてフリーで体験できるというのは凄い。僕はなんだかんだ言ってシーケンサーDAWをさわるようになってもう15年くらいにはなろうかと思うけれど、ずっと手探り手探りでやってきたことというのが、最初の一歩からいままさに勉強中のことまで総まとめされている。DAWの操作法を覚えるのにせいいっぱいなうえ、どの音がどんな役割をしているのかとか、こんなリズムフィギュアをつくるとああいうジャンルに聞こえます、みたいなことって基本的には経験則だ。自分でつくってみるまで、直感的に把握することはできても、理解することはなかなか難しい。それがブラウザ上のインタラクティヴなコンテンツだとこうもあっさりと提示できるんだなあ。

最近の工作物(トランジスタ2つでできるVCO)

www.electronicshub.org

 トランジスタ2つでできるVCOを見つけたのでつくってみた(上記事参照)。トランジスタ2つで発振器ができるというのは見たことがあったけれど、電圧制御ができるといろいろ楽しく応用が効くのでものは試しと。それだけではなんなので、簡易エンヴェロープジェネレータもつくって(下記事参照)、いろいろ組み合わせてみた。

www.synthdiy.com

 結果がこちら。

 回路図は以下のようになっている。

f:id:tortoisetaughtus:20170509162403j:plain

 一番左はLFOがわりの555タイマで、真ん中のエンヴェロープジェネレータをトリガーしている。あいだにコンパレータが入っているがなんかそのへんは適当。で、生成した電圧をトランジスタのVCOに送ってピッチを変化させている。動画ではCV入力部の抵抗は固定しているけれど、そこをコントロールするとピッチを若干いじれるので、きちんと組むときには2連ボリュームを使うつもり(以下の画像を参照)。

f:id:tortoisetaughtus:20170509162054j:plain

 ちなみにもうすでにFritzingでPCB基板をレイアウトしてエッチング済、部品もあらかたマウントしてあって、あとは配線とケースをどうのこうのするだけ。ほんとに動くのかなー。自作のPCBは初めてなので心配だ。それもまた記事にしようと思う。