ただの風邪。

音楽のことを中心にいろいろと書いています。

Poly Life Multi Soulのリズムメモ

夕方書いた記事の補足。

POLY LIFE MULTI SOUL (通常盤)

POLY LIFE MULTI SOUL (通常盤)

さいしょに

  • パルス
    • リズムの基礎単位
  • 拍子
    • 一小節を何分割しているかの単位
  • メトリック・モジュレーション
    • パルスの長さを維持しながら拍子を伸縮させる
      • ●=○=1パルス、●=アクセント、○=休符とした場合、
      • A:|●○○○●○○○●○○○●○○○|●○○○●○○○…
      • B:|●○○●○○●○○●○○|●○○●○○●○○●○○…
      • AとBはパルスの長さを共有しているが小節の長さ(=実質的なテンポ)が異なる。
      • よくあるパターンとしては、付点音符を使ったシンコペーションを使って小節をまたいで拍子をスムースに変化させる例
  • クロスリズム
    • 複数の拍子に解釈可能な単一のリズム・パターン
    • 小節あたりのパルスの数が公倍数になっているときに可能
    • 典型的なのはパルスの数が12の場合のクロスリズム
    • |●○○●○○●○○●○○|(四分三連の4/4もしくは12/8)
    • |●○○○●○○○●○○○|(3/4)
    • 12/8もしくは3/4の場合、基本的にすべてクロスリズムとして解釈できるが、実際にはアクセントの位置やメロディの流れによってどちらかに一意に決まることが多い。
  • ポリリズム
    • ひとつの小節のなかに異なる複数の拍子が共存している
      • 4/4のリズムの上に三連がのっている、etc...

最近流行りの三連フロウもポリリズムっちゃポリリズム

三拍子のうえで5音節の単語をくり返して小節がまわりこんだり揃ったりをくり返す。

各曲メモ(気になったのだけ)

  • Modern Steps
    • メトリック・モジュレーションを使ったリズムチェンジ
      • イントロのギターとオルガンは4/4(その後のパートとはテンポが異なる)
      • リズムボックスが入ってからは[4/4 *2 + 5/4 * 2] * 3(1パルス=八分音符として、1周期36パルス)
      • 四分三連の3/4に移行(1周期18パルス)
      • 最後のギターは7/8 + 11/8(1周期18パルス)
  • 魚の骨 鳥の羽根
    • 3と4のクロスリズム
    • キメの部分でどちらかの拍子が優勢に聞こえる部分もあるが、全体を通して3にも4にもとれるきれいなクロスリズム
  • ベッテン・フォールズ
    • メトリック・モジュレーションを使ったリズムチェンジがばんばん
      • 5/4→9/8→12/8→5/4→9/8→4/4→12/8…
  • 溯行
    • 後半に4/4から12/8へのメトリック・モジュレーション
  • Buzzle Bee Ride
    • 一貫して7/4だが、クラーベがわりのベルが抜けた後半に激しいシンコペーションがある。
  • Double Exposure
    • 4/4。ただし3小節を1周期として進行するのでちょっとだけ変則的に聞こえる。
  • Waters
    • 3/4。中盤で一部周期が倍になって6/4。
    • 要所要所でクロスリズム的にとれ、後半でシンセのコードだけになるところ以降ははっきりとクロスリズム的なパターン。

以上です

cero - Poly Life Multi Soulの設計と演奏

ceroがさきごろリリースした新作Poly Life Multi Soulが各所で絶賛されている。その切り口のひとつとして、ポリリズムであるとかあるいは変拍子といったものが取り上げられることが多い。たとえば先行してMVが配信されていた「魚の骨 鳥の羽根」では三連の4/4拍子でも6/8(もしくは12/8)拍子でも解釈できるクロスリズムが全面的に取り入れられているし、他の曲でも奇数拍子であるとかメトリック・モジュレーションによる拍子の変化が多用されている。リズムに関していえば、すでに飽和状態に達してもはや基本的なボキャブラリーと化した、ネオ・ソウルあるいはJ Dilla以降とも言われる「ズレ」や「なまり」を取り入れたグルーヴではなく、いわば数学的に分析可能な、多層的なリズム構造をその骨組みとしたことによって、アフロ・ビートや中南米のラテン・ミュージックやブラジリアン・ミュージックへとより接近したという印象を受ける。

しかし、表題曲であり本作のエンディングをかざる"Poly Life Multi Soul"では、8分半にわたる演奏がオーソドックスな16ビートから四つ打ちのハウス・グルーヴに収斂していく。それでもなお、紡がれるグルーヴには単に反復の享楽性に回収されない力強さがあり、この演奏にこそ本作の凄みがあるように思う。

クロスリズムやポリリズムをなめらかに成立させるためには、各楽音のあいだにヒエラルキーが生じるのを避けなければならない。メロディのかたちにせよ、リズムのパターンにせよ、アクセントの置き方にせよ、ひとつの優勢な解釈ではなく複数の可能な解釈へとひらくために設計される必要がある。しかし、単に精緻に設計されているだけでは、聞き手のなかで形成されるリズムのゲシュタルトを宙吊りにし、解きほぐしていくまでには至らない。こと生演奏となると、バンド全体が説得力のあるアンサンブルを鳴らさない限り、ポリリズム変拍子はギミックにすぎないものになるだろう。その点、Poly Life Multi Soulというアルバムで驚嘆するのは、ときにカオティックな側面も見せる、身体性のあるアンサンブルにあるように思える。

比較的オーソドックスなグルーヴを聴かせる"Poly Life Multi Soul"がことさら興味深く響くのは、それゆえのことだろう。この曲では、ベースラインの配置、ドラムの遊び、音の抜き差し、ドローン的にあらわれては消える声やパッドといった諸要素が絡み合い、反復の享楽ではなくてむしろ変化していく風景が描写されていくような感覚を味わえる。とりわけ16ビートから四つ打ちへのリズム・チェンジはスムースでありながらもドラマチックなグルーヴの変容を見せる。こうしたささやかなドラマを支えているのは、バンドとしての圧倒的なまとまり感、成熟ではないか。

インタヴューからうかがい知れる本作の制作過程は、楽曲のおおよその骨組みをメンバーに提示して、曲ごとのポイントを伝えたうえで、ジャム・セッションに近いかたちで楽曲を練り上げていく、というものだったようだ。ポリリズムやクロスリズムというコンセプトは共有しつつも、具体的なアレンジはサポートメンバーを含めたおのおののプレイヤーが協調してつくっていく。すみずみまで精緻につみあげられたというよりも、どこか野性味というか心地よいエグみを覚えるのは、こうした点に由来するものだろう。とまれ、制作過程からも、本作においては「設計」というよりもバンドの「演奏」に重心が寄っている、ということが言えそうだ。それゆえ、ぼくはこのアルバムを聴くたびに、その設計に驚嘆するよりも、なによりライヴで彼らの演奏を体験したいという思いを強くしていくのだった。

POLY LIFE MULTI SOUL (通常盤)

POLY LIFE MULTI SOUL (通常盤)

リズムについて補足した。

caughtacold.hatenablog.com

Rita Ora "Girls"がクイア・アンセムたりえない微妙な理由

 Rita OraがCardi B、Bebe Rexha、Charli XCXをフィーチャーした新曲"Girls"をリリースした。"Sometimes I just wanna kiss girls, girls, girls"というフックからわかるとおり、女性同士の性愛を歌った楽曲だ。しかし、この曲に対しては、クイアな女性ミュージシャンから批判が投げかけられている。今年のCoachellaでCardi Bのステージに上ったことでも記憶に新しいKehlaniは、自身のTwitterアカウント上で、Rita Oraら参加ミュージシャンへの敬意を評しつつも、この曲の歌詞を「有害(harmful)」だと懸念を表明している。

 Hayley Kiyokoも、Twitter上で長文のコメントを発表しており、"Girls"の歌詞が具体的にどう問題であるかについても言及している。

 重要なので、肝心な部分を抄訳しよう。

けれど、時折まったく無神経なメッセージを携えた曲がいくらか現れたりする。そうした曲はLGBTQ+コミュニティにとって良い影響よりは悪影響を及ぼすのだ。
彼女たちがこの曲にこめた意図に対してではなくて、歌詞の裏側に見える配慮の浅さにひっかかるのだ。私は女の子とキスするのにワインを飲む必要なんかない。私は生まれてこの方ずっと女性を愛してきたんだから。こういう種類のメッセージは危険だ。というのは、それはあるコミュニティが持つとても純粋な気持ちを卑下し、無効化してしまうからだ。私は可能なときにはいつでも、そうした気持ちを守る責任があると感じている。

 つまり、"Girls"で歌われている女性同士の性愛は、酒の勢いとか、ちょっとした気持ちのゆらぎで起こる偶発的な出来事程度に矮小化されていて、LGBTQ+コミュニティに属する人々にとってのそれとは相容れない、ということだ。"Girls"のような曲が広まることによって、ヘテロセクシュアルな人びとにとっての他者であり、異なる性愛のかたちを持っているLGBTQ+の人びとに対する誤解もまた広まってしまうのではないか。その懸念には耳を傾けてしかるべきだろう。

 じっさい、"Girls"にも参加したCharli XCXの2017年のシングル"Boys"が、そのMVも含めて極めて巧みなmale-gazeの転倒としてフェミニズム的な批評性をみせてくれたのに対して、"Girls"にはそうした切れ味はあまり感じない。まだビデオが公開されていない状況でいうのもアンフェアだが、男性から女性に向けられたセクシュアルなまなざしを反転させたうえで、男性に付与されがちなマスキュリンな記号をも廃した、ある種「キュート」な男性たちのポートレイトを描いた"Boys"の持つ批評性と配慮を思うと、その対となるべき"Girls"はどうあるべきだったか、と考えてしまう。