ただの風邪。

音楽のことを中心にいろいろと書いています。

K-POPのMVについてちょっととりとめなく+最近のお仕事まとめ

 7月に入ってブログ更新してなかったんですが、なんかタイミングが詰まってRealSoundに寄稿したコラムが溜まってました。

realsound.jp

realsound.jp

realsound.jp

 結構書いてるな…… オリコンの上半期チャートまとめは地味に緊張しました。Billboard Japanチャートのまとめ記事は柴那典さんでしたし。Superorganismはちょうどツアーの発表があったところですが、いままさに見たいバンドですね。っていうかいま見ておくことに意義があるというか…… 記事では、ポップスの持ちうる政治性みたいなことを考えつつ、コレクティヴとしてのSuperorganismの面白さを書きました。サウンドについてももうちょっと突っ込んで書こうかと思ったんですがそれはブログで書くかも。あるいはまた別の文脈で言及できたらいいな。

 で、きょう公開されたTWICEのMVをまくらにK-POPのMVについて書いた記事。日本のポップカルチャーを軸にまとめましたが、K-POPのMVにみられる引用・パスティシュ芸はすごいものがあります。TWICEなんかいっときのブリトニー・スピアーズとかがコスプレ三昧だったのを彩度とテンポ上げてアップデートした感じというか。

 コスプレ三昧系MVというと2000年前後のUSヒップホップでもよくあったよーな(エミネムとかバスタとかミッシーとか…)

 TWICEの「What Is Love?」は映画作品のオマージュが矢継ぎ早に繰り出されるし、「TT」もハロウィンというコンセプトにかこつけてメンバーがコスプレしまくり。

 TWICE以外もこないだ公開されたMOMOLANDのこれとか、コスプレで世界一周。とにかく景気が良い。

 コスプレばっかりじゃなく、ジャンル映画まるごとオマージュみたいなのもよくある。なんでかよく見る印象なのは学園モノとか、あるいは耽美系っぽいガーリーな感じの… なんていうんでしょう、ミニシアター系の。女の子映画っぽいイメージをよく使うのはRed Velvetですけど、「Peek-A-Boo」はスリラーと耽美系のガーリームービーをごっちゃにした感じ。

 LOONA/yyxy「love4eva」も同じようなふしはあり。もっとちゃんと掘ってくとたくさん例は出てくるんですがまあ最近の話題作で…

 あとなぜか、2016年はどうみてもウォン・カーウァイオマージュの90'sファッション+大胆な原色を取り入れた色彩設計のビデオがいくつかあった。そのなかで一番よかったのはHeizeの「And July」でしょうね。

 そもそもK-POPのMVってガールズ/ボーイズ問わず色使いに特徴がありますよね。J-POPが彩度低め、コントラスト低めな画作りになりがちな印象があるので、最初はそこにかなりエキゾチックな雰囲気を感じ取ってました。多分にアジア的色彩感覚なんだと思います。

 映画に限らず、ニュージャックスウィングのサウンドと意匠をリバイバルさせたSHINeeの「1on1」もBruno Marsの『24K Magic』とほとんど時差なかったのはビビった。

 そんな感じです。今月はもうちょっと書き物出る予定あります。ではまた。

声優界のディーン・フジオカ、武内駿輔 a.k.a. Jack Westwood

俳優業とミュージシャン業を股にかけた活躍に加え、どう見てもイケメンだしやってることもちゃんとかっこいいのに、なんだか自然と半笑いになってしまう妙なキャラクターが印象的なディーン・フジオカ。フューチャーベースやWaveといったポスト・EDM的なサウンドを堂々とお茶の間に持ち込む大胆な活動には音楽界からの注目もアツい。

フジオカが順調にキャリアを積んでいくなか、さきごろ、声優界のディーン・フジオカとでも言うべき逸材がいよいよ動き出した。弱冠20歳の新人男性声優、武内駿輔である。

武内駿輔は1997年生まれの20歳。まだ高校生だった2015年にアニメ『アイドルマスターシンデレラガールズ』のプロデューサー役に抜擢され一躍注目を浴び、翌年には声優アワードで新人男優賞を受賞。メディアに露出した際には、若さを感じさせないルックスと物腰、そして低音ボイスで視聴者をざわつかせた。

彼はラジオや映像コンテンツを通じて大の音楽好きであることを公言し、趣味でEDM系のビートメイクも嗜んでいた。それゆえミュージシャンとしての活動を待望する声も多く聴かれていたのだが、キャラソンなどで自慢の歌声を披露することはあっても、本格的な活動には至っていなかった。

そこにきて、2018年3月、突如として自身のオルター・エゴJack Westwoodを始動させ、ヒップホップ・ミュージシャンのLotus JuiceとともにユニットAMADEUSを結成。新曲の制作をはじめとして活動の開始をアナウンスしたのだった。

www.amadeusmusic.jp

いよいよこのときが来たか、という熱狂とともに浮かんできたのは、「Jack Westwoodってなんだよ」「AMADEUSとは大きく出たな」などのツッコミだった。

そう、ガンガンにニオってきたのである…… イキりの…… イキりのスメルという奴が――。

そもそも伏線として、彼は2016,7年くらいから、ファッションが異様にチャラくなっていた。当初の、いかにも真面目なサラリーマン然とした、アイドルのプロデューサー役にふさわしい整ったヘアスタイルにスーツ姿はあくまで役柄に配慮したプロフェッショナル精神で、むしろこっちが本領だったという可能性は高い。それにしても、この大胆なイメージチェンジは各方面に衝撃を与えた。

また、Jack Westwood名義で始めたTwitter及びInstagramでは、自身のファッショニスタっぷりを惜しげもなく披露したり、インスタストーリーでおすすめの楽曲を紹介したりと、カルチャー巧者としての存在感をアピールしまくりだしたのである。ちなみにおすすめする楽曲は最近のEDMを中心に、80年代から90年代初頭のポップスまでをカヴァーしており、「親世代の趣味も屈託なく消化した、今どきの音楽好きの若者」像を感じさせて新鮮だった。

👁👖 #gucci #diorhomme

Jack Westwoodさん(@jack___shunsuke)がシェアした投稿 -

今年の春夏の一軍、ボリュームスニーカー君です👏 #dior #diorhomme #sneakers

Jack Westwoodさん(@jack___shunsuke)がシェアした投稿 -

(男性声優にしては)尖ったファッション、ディープな音楽趣味、有無を言わせぬ存在感ある声など、いかにもカリスマ的な要素を持ちつつも、絶妙に「若気の至り」「かわいがられる後輩っぽさ」「イキりのスメル」を湛えたキャラクター。部分部分を全部足したらどう考えても完璧超人が生まれるはずなのに、全体で見るとどこかかわいげがあり、憎めないスキのある人間性

まさにそれこそが、武内駿輔を「声優界のディーン・フジオカ」たらしめるものなのである。

それではいよいよ聴いていただこう。武内駿輔 a.k.a. Jack WestwoodとLotus Juiceによるユニット、AMADEUSのデビューシングル、"O.M.C."だ。

いかがだったろうか。プロデュースから歌唱までJack Westwoodが自ら手がけている。フューチャーベースマナーを取り入れたダンサブルなR&Bとして優秀な楽曲になっていて、若い頃からDAWをいじっていただけあると実感する。まさしく今後の活躍が期待される。

おまけ 高校時代にすごいイキってる武内くん

まあこれはかわいがりたくなるね。しょうがない。AMADEUSのアルバム待ってるぜ!

「メッセージはメディアである」

YOKO ONO―オノ・ヨーコ 人と作品 (講談社文庫)

YOKO ONO―オノ・ヨーコ 人と作品 (講談社文庫)

オノ・ヨーコはかつて、たしか飯村隆彦によるインタビューのなかで、マーシャル・マクルーハンの有名なテーゼ「メディアはメッセージである」を批判し、それを転倒させて「メッセージはメディアである」と言ったことがある。これはいかにもアーティストの気ままなことば遊びにすぎないかもしれない。しかし、つきつめて考えてみれば、これもまたひとつの真実を言い当てているように思える。

はじめに示したマクルーハンのテーゼは、彼の思想の技術決定論的な側面を端的にあらわしたものだ。すなわち、私たちがメディアを通じてなんらかのコンテンツを享受するとき、私たちにより強い影響を与えているのはコンテンツの内実よりも、メディアの技術的な条件の方である、ということだ。コンテンツそのものよりも、どのようなメディアを通じてそれを受け取るかのほうが、私たちの世界に対する認識のあり様を決定づける――どのようなメディアが支配的となるかに応じて、私たちの世界の捉え方も変わってくる、それゆえ具体的な中身よりもメディアの様式をこそ検討しなくてはならない、ということだ。

メディアはマッサージである: 影響の目録 (河出文庫)

メディアはマッサージである: 影響の目録 (河出文庫)

しかし、オノはそうしたマクルーハンの思想を権威主義的、制度的にすぎるとしてしりぞける。この批判をぼくなりに補足すれば、技術はときに私たちの世界認識のあり様を決定的に、不可逆的に変化させるが、しかし、技術が私たちの世界認識を隅から隅まで規定してしまうわけではない、少なくともそのように信じたい、ということだ。仮にそうした技術決定論を(きわめて素朴に、だが)ひとつの原理として採用してしまうと、市井に生きる人びとの側から世界を変革する余地が残されなくなってしまうだろう。技術の領域は高度化するにつれてブラックボックス化してしまうのだから。

それを踏まえて、オノがなかばたわむれに発した「メッセージはメディアである」という2つ目のテーゼは、メッセージを発すること、声をあげることそのものが媒介(メディア)となり、社会を変革しうる、と言い換えることができる。

メッセージはメディアを横断する。それが聴覚的であれ視覚的であれ、平面的であれ空間的であれ、あるメッセージはあらゆるメディアに憑依して私たちのもとに届けられ、しばしば私たち自身の奥深くまで浸透する。そのとき、メッセージはメディアという入れ物によって運ばれてくるひとつの言明であるというよりも、メディアに寄生してさまざまな宿り主のあいだを渡り歩くウィルスのようなものである、とも考えられる。

こうした主客を反転させた捉え方は、SNS時代以降、ヴァイラルな(ウィルス様の)コミュニケーションの危険なまでの効力を目の当たりにしたわれわれにとって、むしろ馴染み深いものではないだろうか。音声、画像、映像、あるいはテクスト、などのかたちをとってインターネット上を流通する多種多様なメッセージは、じっさい、(その影響力の大きさには諸説あるとはいえ)よかれあしかれ人びとに感染し、社会の方向性をひそかに決定づけている。

メッセージは物理的な支持体(メディウム)に従うものではなく、むしろそれ自体が人びとにイメージをもたらし、思考を促し、行動を動機づける、ひとそろいの環境そのものなのであって、それゆえに、メッセージを発することそのものが世界のあり方を変革する契機ともなりうるのだ。街角のビルボードやポスターに記された「WAR IS OVER IF YOU WANT IT」というセンテンスはそれ自体、「あなたが求めさえすれば戦争は終わる」というメッセージであると同時に、「世界を変えるために必要なのは、メッセージを発することだ」ということのデモンストレーションなのである。

個々のメッセージの力は、テクノロジーが私たちの世界認識を規定する力と比べれば、圧倒的に小さい。オノ・ヨーコジョン・レノンというよかれあしかれ世界で最も著名な夫婦が発したメッセージでさえ、テレビやラジオ、あるいはSNSといったメディアそのものの持つ力に及ばないだろう。しかし、そうしたテクノロジーの内側に、そして人びとの心に憑依し、感染したメッセージは静かに変革の灯火を燃やし続けるのである。実際、「WAR IS OVER」というメッセージはいまだに私たちの心の中に存在し続け、ふとしたところに掲示され、根強く増殖を続けている。